特集記事 :

【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉がミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

バックナンバーはコチラ

チェリスト・指揮者 山本祐ノ介 氏

今回のテーマ
ミャンマーでオーケストラを率いた指揮者

山本祐ノ介 氏[Yamamoto Yunosuke]

作曲家の両親(山本直純、岡本正美)の元、早くから音楽を学ぶ。東京芸術大学を経て同大学院を修了。ハレーストリングクァルテットのチェロ奏者として民音室内楽コンクール第1位受賞。芸大オーケストラ首席奏者、東京交響楽団首席奏者、東京ニューフィル常任指揮者、ミャンマー国立交響楽団音楽監督などを歴任。香川ジュニアオーケストラの指導者として香川県芸術選奨を受賞。幅広い分野におけるパフォーマンスにて、人々の心に安らぎと勇気を与えるため、心あたたまる表情豊かな音楽を追究している。日本音楽コンクール、日本学生音楽コンクール、PTNA全国大会などの審査員、芸術文化振興基金委員を歴任。日本チェロ協会理事、洗足学園音楽大学講師。
ボロボロの楽器と拙い技術のオーケストラ

永杉 今回はチェリスト・指揮者の山本 祐ノ介さんにお話を伺います。山本さんは山本直純さん、岡本正美さんという著名な作曲家ご夫妻の家庭に生まれ、東京芸術大学を経て同大学院を卒業。チェリストとしては芸大オーケストラ首席奏者、東京交響楽団首席奏者を歴任し、指揮者としては京都市響や東京ニューフィルを始めとするさまざまなオーケストラに招かれるなど、輝かしい経歴をお持ちです。
 数ある肩書の中で、特に我々の目を引くのが「ミャンマー国立交響楽団音楽監督」の経歴です。今回は、山本さんがなぜミャンマーでオーケストラを率いることになったのかを振り返っていただきます。まずは、ミャンマーとの出会いから教えてください。

山本 ミャンマーに初めて訪れたのは2013年5月、知人がミャンマーで事業を立ち上げたので遊びにこないかと誘われたのがきっかけです。そこでミャンマーにもオーケストラがあることを聞かされ、ミャンマー国立交響楽団(以下、MNSO)の練習を見に行きました。ところが、国立と名前はついているものの、楽器はボロボロ。演奏はお世辞にも上手と言えるものではありませんでした。すぐに帰ろうかなと思ったのですが、呼び止められて「指揮ができるならやってみてくれないか」と言われたのです。せっかくなので「どんな曲ならできそう?」と聞いてみたところ、ボロボロに使い古されたシューベルト『未完成』の譜面を渡されました。この曲はトロンボーンが必要な交響曲なのですが、見回してもトロンボーンは一人もいない。「トロンボーンがいないけど?」と聞くと、「いつもトロンボーンなしでやっている」とあっけらかんと話すのです(笑)

永杉 ミャンマーらしいおおらかさですね(笑)

山本 最初は面食らいましたが、それでも彼らとの交流はとても楽しいものでした。妻(ピアニストの小山京子さん)も同行しており、彼女もピアノを弾くように頼まれて一曲披露したのですが、楽員がピアノの周囲に集まって楽しそうに聴いている。彼らの技術は未熟かもしれませんが、音楽に対する純粋な姿勢に好感を覚えました。
 そしてその日の夜、ホテルに戻るとオーケストラのリーダーから電話があり、相談に乗ってほしいと言ってきたのです。会って話を聞いてみると「僕たちには経験のある指導者がいないので、これから何をすればいいのかわからない。助けてほしい」と懇願されたのです。

▲日緬外交樹立60周年の記念事業として行われた初コンサート(2014年12月)

永杉 長年、軍事政権下で満足な活動ができない状態だったのでしょうから、そうなるのも仕方がないかもしれません。

山本 偶然の出会いでしたが、そのように助けを求められたので、私としても何かをしてあげたい気持ちになりました。そこで「今年の秋くらいに、ミャンマーでオーケストラのテレビ番組を作ろう」という話になったのです。

永杉 テレビ番組ですか?

山本 実は、MNSOは国営テレビ局のMRTVが所有しているオーケストラなのです。楽員は全員MRTVの社員なので、テレビ番組なら作ることはできるという話をされました。収録を目指して日々練習すれば実力もつくだろうし、メディアに露出することで新しいつながりが生み出せるかもしれないので、テレビ番組を作ることにしたのです。

永杉 どのような内容の番組になったのでしょうか。

山本 まず、彼らにどんなオーケストラになりたいかと聞きました。すると「ミャンマーは2014年にASEANの議長国になる。だからASEANの式典や晩餐会などに呼ばれるオーケストラになりたい」と言うのです。さすがにそれは難しいだろうとは思いましたが、そのような話の中からASEANに参加する10ヵ国の有名な曲をメドレーにしたものを作ることになりました。私が現地に行けたのは収録1週間前で満足な練習はできませんでしたが、番組としてなんとか形にすることはできたと思います。
 それで日本に帰ろうとしたのですが、彼らはまた屈託なく「来年は何をする?」と聞いてきたのです。私としては続けるつもりはなかったのですが、気づいたら「2014年は年4回ワークショップを開催して、最後にコンサートを開く」みたいな話になっていました。ついには国のハンコが押された企画書もできあがってしまい、後に引けなくなったのです。でも、これだけやってもミャンマーから費用は一切でない(笑)

永杉 それはさすがに、ボランティアの枠を超えていますね。

山本 最初は渡航費から何から全部自分で捻出してワークショップに行っていました。しかし、それでは継続できないので、日本でサポートしてくれる企業や団体がないかを探すことにしたのです。見つけるのは大変でしたが、妻のつてを頼って国際交流基金に相談したところ、ありがたいことに2014年中頃から活動費を助成してくれることが決定したのです。

▼2回目のコンサートはジャズピアニストの山下洋輔氏を迎えた(2016年1月)

3,000円のご支援で1か月飢えをしのぐことができます




ヤンゴンは今どうなっているのか ヤンゴン定点観測アーカイブ

ヤンゴンは今どうなっているのか。最新画像とともに、主要スポットの現在をお伝えする。
(2024年4月11日撮影)


電力供給が不安定でエアコンが使えず、室内の気温が40℃近くになることも。酷暑で体調を崩す人も増えている。

※ダウンタウンを中心に軍や警察による警備が強化されたため、今月より撮影ポイントを変更します。


タイムシティー

2020年にオープンしたミャンマー最大のショッピングモールでは、ティンジャンの連休を前にイベントが開催されていた。

ボヤニュン通り

停電の影響で発電機の音が騒々しい。
買い物客や飲食店で食事をする人も少なかった。

ボージョー アウン サン マーケット

飲食店や貴金属販売店に立ち寄る人がチラホラ。来館者は全体的に少なく、この日は観光客の姿を見ることはなかった。

ヨーミンジー通り

普段よりもデリバリーサービスの自転車や歩行者は少なめ。通行車両もまばらだった。

ミャンマープラザ

全体的に来客は少ないが、1階ではアパレルやアクセサリーなどの女性向けプロモーションが行われ、カップルなどが足を止めていた。

レーダンセンター

ヤンゴンの原宿と呼ばれているレーダン地区のランドマーク。他のショッピングモールと比べても圧倒的に若者客が多かった。

ジャンクションシティ

プロモーションエリアで中国製電気自動車(EV)が展示されていたが、誰も興味を示さずに通り過ぎていた。

ジャンクションスクエア

ジュエリーやアパレルの販売イベントが行われていたが、客は少なく暇そうにするスタッフが印象的。

ガソリンスタンド

価格は過去最高値に高騰。在庫不足のスタンドが多い中、油種がそろっている店舗では給油待ちの車が長蛇の列を作っていた。

3,000円のご支援で1か月飢えをしのぐことができます




今月のKEY PERSON

バックナンバーはコチラ

BRYCEN MYANMAR 柴田裕一 会長

経済が低迷するなかでも好調を続けているIT企業・ブライセンミャンマー。
2015年にわずか3名で立ち上げ、今や100名を超える企業に成長した。
新型コロナウイルスの影響もあり、ミャンマーでもDXが進み、独自開発のソフトへの問い合わせも増えている。柴田会長に今後の展望を聞いた。
ミャンマーのDX化を推進 自社製品も好調なIT企業

立ち上げ時のスタッフは3人
難局が続くが事業は拡大中

 1986年設立、世界5か国で展開し、グループ合計700名以上の社員を有するIT企業のブライセン。クアルコムのパートナープログラム認定企業であり、独自技術の画像処理、物流・流通ソリューション、システム開発、オフショア開発・BPOなどを主業とし、自社で開発した製品も多数揃え、コロナ禍でのDX(デジタル・トランスフォーメーション)の追い風も受けて堅調に成長してきた。

 ミャンマー進出は2015年。当時、別の事業をしていた柴田会長が、本社・藤木社長からの支援を受け、ブライセン100%子会社としてスタートを切る。今やスタッフ110人の企業となったが、開始当時はわずか3人。事業も当初はMPTの業務委託を受け、インドやタイ、シンガポールなど海外の優秀なエンジニアの契約代行が主だったが、徐々に開発案件が軌道に乗り、2016年に10人、18年に50人、20年に100人体制まで規模を拡大してきた。

 立ち上げ当初の開発案件は社内用のシステム開発が主であったが、その後はティラワの日系メーカーや日本からのオフショアプロジェクトも増えたことで、スタッフを増やしていったという経緯がある。支店をマンダレーにも構え、ヤンゴンと合わせて2か所で事業を行っている。「BPO(Business Process Outsourcing)案件を伸ばしたいときに、ヤンゴンだけだと人材採用に限界がありました。そのためマンダレーにも支店を作りました」と話すのは柴田会長。

 コロナ、政変と難局続きのミャンマーでも大きな影響を受けず、好調を継続しているのが独自製品の「バモール」。事業の根幹は人材採用や育成であり、PC普及率も低いミャンマーでは当然困難がともなう。IT大学卒業という肩書きにも関わらず、PCを触ったことがない新人が多く、業務を任せられる人材に育つまでにも時間がかかってしまう。「毎年5つのIT大学からインターン生20人ほどを採用し、そのうち10人ほどを社員として雇用していました。今は大学が開校していないので厳しいのですが、今年7月に人材を募集したら中途人材100人以上から履歴書が送られてきました。現在は買い手市場と言えます」

独自開発のソフトが追い風
ミャンマーのDX化に貢献

 人材育成は、2016年入社したほとんどのスタッフがリーダーに昇格し、彼らが先輩となって後輩たちを徹底的に指導。ミャンマー人が新人に教えるという指導方法が奏功し、ミャンマー人目線の育成が実を結んでいる。「2018年は離職率ゼロを達成しました。スタッフは『ここは家族みたい』と言ってくれています。先輩たちがしっかりと後輩を教えてくれますし、面倒見がいいので助かっています」。

 そんなスタッフたちが着実に成長し、今では前述したERP勤怠管理ソフトウェア「バモール」や製造業向け倉庫管理システム「WMS」、財務経理システム、オンラインペイメント「B-Cash」など、ミャンマーの事情に即した製品を次々と開発。ある日系の製造業で「バモール」を導入したところ、目覚ましい効率化を達成し、顧客からも高い評価を受けた。また、「B-Cash」はサイトに簡単に組み込むことができ、コストも売り上げの数%というからオンライン決済が広がりつつあるミャンマー市場では大きな可能性を秘めている(詳細はP4にて)。

 これまで顧客は日系が多かったが、コロナ禍を経て増えてきたのがローカル案件。「バモール」を複数の企業に提案したところ、反応もよく、順調に問い合わせも増えてきている。「今月はすでに2社のトライアルが決まり、11月から導入する企業もあります。提案もミャンマー人スタッフだけでクロージングしています」。

 今後戦略として掲げるのは、ミャンマーのDX化。今やIT先進国となったエストニアのように予算や人材が枯渇している国こそ、ITを導入しやすい土壌が整っており、当然ミャンマーも例外ではない。「ミャンマーにある企業、そしてミャンマーという国のデジタル化に寄与するというのが弊社の思いです。DXのコンサルならお任せください。ウェビナーも定期的に開催しますので、一緒にミャンマーのIT化を進めましょう」。

柴田 裕一[Shibata Yuichi]

1963年生まれ、愛知県出身。
中京大学体育学部卒業後、京都の企業でハンドボールの実業団メンバーとして活躍。2000年に携帯関連企業に転職し、13年ミャンマーで起業。15年にブライセン本社・藤木社長より、ミャンマー事業を任され現在に至る。

緊急対談「日本はミャンマーを全面的に支援します」

バックナンバーはコチラ

ミャンマー知的財産権法(商標法、意匠法、特許法、著作権法)
知財法が成立、日本企業は何をするべきか?

知財法が成立、日本企業は何をするべきか?
法律の未整備から知的財産権の保護が不十分だったミャンマー。年明けから商標法、意匠法が相次いで成立し、特許法、著作権法の成立も待たれるところ。知財法の成立を受け、一体日本企業は何をするべきか?
ミャンマー教育省に出向し知財法整備のアドバイスを行う高岡裕美氏と、TMI 総合法律事務所ヤンゴンオフィスで知的財産案件を取り扱う甲斐史朗氏に話を聞いた。


高岡裕美 × 甲斐史朗

高岡 商標法が成立するまでは、ミャンマーには商標法というものは存在しませんでした。もっとも商標が保護されないというわけではなく、例えば登録法や刑法といった別の法律では一定の保護が与えられていました。実務上は、商標をRegistration Offi ceで登録し、新聞広告をし、使用実績を確保するという方法が用いられているのです。この登録法の下での商標登録は他人の商標を無断で使用し模倣品を販売する侵害者から、自己の商標を守るために必要な実務として存在しており、日系含めて多くの企業がこの実務に則した商標登録を行っています

甲斐 そうですね。商標の「登録」というと、登録済の商標がリスト化されているようなイメージを持たれる方も多いですが、現状の制度はそうはなっていない。現在の商標の「登録」というのは、日本でいう公証役場での文書の公証と似ていると思います。政府のお墨付きはもらえますが、誰が、どのような商標を登録したかを集約した情報ではないわけです。実際に紛争になると、お互いが登録証を出してきて、どちらの登録が先かが争点になります。

高岡 現在、登録法で登録している商標でも、新商標法成立後に知財庁に対して登録を申請しない限り、権利は失われます。

甲斐 新商標法の施行後は、決められた期間内に登録を申請する必要がありますね。では現在、まだ登録法に基づく登録をしていない企業は、新商標法の登録が始まるまで待つべきでしょうか。

高岡 現在の登録法に基づいて、Registration Offi ceで登録することをおすすめします。ミャンマー商標法の基本的な考え方としては、使用している商標を保護する(使用主義)なのですが、「登録している」=「使用している」という推定が働くと思われます。一度登録をすれば、少なくとも日時については前述した判断となるはずです。

甲斐 ほかにも日本企業として準備しておくことはあるでしょうか。

高岡 自社の商標について、侵害の状況を調査しておくことも有効だと思います。自社の模倣品が市場で販売されているケースもありますし、また、Registration Offi ceでは商標の真の権利者かどうかは審査しませんので、外国企業の著名な商標を第三者が「自分の商標だ」としてRegistration Offi ceで登録し、新聞広告まで出しているケースもあるわけです。現在、自社の商標に対して、侵害しそうな相手がわかっていれば、もし相手がその商標を新商標法の下で登録しそうな場合、相手方の登録申請状況を調査し、異議申し立てや無効を主張することができます。

甲斐 新商標法でも商標を確保したい場合は、新商標法に基づいて登録を申請すべきですが、具体的にいつ、どのような資料を添えて申請すべきかは明確ではないですよね。

高岡 はい。商標法を具体化する規則を現在策定中です。規則については、ジュネーブに本部を置くWIPO(世界知的所有権機関)の支援も受けながら、現在ミャンマー教育省知財局スタッフが検討を行っています。国際的に見て遜色のない制度とするとともに、初めて商標の出願や審査を行うミャンマー側にとっても適切に機能する制度とすることが重要だと思っており、私の方からも日本の実務や経験を基に、教育省の担当者にアドバイスをしています。


高岡裕美(たかおか ひろみ)
ミャンマー教育省・JICA知的財産行政アドバイザー。京都大学薬学部、英国Warwick Business School MBA 卒業。日本特許庁で医薬品・化粧品等の特許審査・審判、英国王立国際問題研究所留学、品質管理室室長を経て2018年3月より現職。

甲斐史朗(かい ふみあき)
TMI 総合法律事務所リージョナル・パートナー(ミャンマー担当) 。日本国弁護士。早稲田大学政治経済学部政治学科、ロンドン大学LLM 卒業。2015 年1 月よりヤンゴンオフィス駐在。

バックナンバー

特集記事 :