【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

一般社団法人 日本ミャンマー未来会議代表 井本勝幸 氏

今回のテーマ 日本とミャンマーの関係に多大な影響を与えた「ビルマのゼロ・ファイター」

井本 勝幸 氏 [Katsuyuki Imoto]

一般社団法人 日本ミャンマー未来会議代表
1964年、福岡市出身。東京農業大学、立正大学卒業。日本国際ボランティアセンター(JVC)で世界各国の難民支援に関わったのち、28歳で仏門に入る。2011年より単独でビルマ少数民族地域へ入り、統一民族連邦評議会(UNFC)コンサルタントとして全土停戦に貢献。その後は、農業支援活動や旧日本軍の遺骨調査活動などに従事し、平成28年に社会貢献者表彰、平成29年に外務大臣表彰を受賞する。一般社団法人日本ミャンマー未来会議代表や日本経済大学特命教授など、多くの要職を兼任している。

仏教の教えでアジアを救う
28歳で仏門に入ることを決意

永杉 今回は日緬関係を語る上で欠かせない人物の一人、井本勝幸さんにお話をうかがいます。井本さんは、これまでにミャンマー政府と少数民族武装勢力の全土停戦協定の締結に尽力したほか、旧日本軍の遺骨収集事業を率いるなど、数々の実績をお持ちの方です。まず、社会貢献活動を始められたきっかけやミャンマーとの出会いについて教えてください。

井本 外国で支援活動を始めたのは、大学1年生の頃です。日本国際ボランティアセンター(JVC)に所属し、ソマリアや、タイ・カンボジア国境の難民キャンプなどで活動しました。
活動を続けるうちに、「アジアの人々を救うためには仏教が必要」と思い至り、28歳で出家を決意しました。その後、立正大学仏教学部を経て、日蓮宗大本山の池上本門寺で随身修行を行い、福岡県朝倉市にある、四恩山・報恩寺の副住職に就任しました。
そして、当初の目的である「仏教でアジアの人々を救う」ことを実践するため、仏教徒による支援団体「四方僧伽」を設立しました。この団体は、後に22ヵ国におよぶアジアの仏教国ネットワークを構築したのですが、当初、そこに入れなかった国がミャンマーだったのです。当時の軍事政権下では、5人以上の集会すら禁止されている状態でしたから、国際的な仏教国ネットワークへの参入などできるはずもありません。そんなミャンマーの状況を知り、この国を支援したいと思うようになりました。

永杉 ミャンマーに関する数々の支援活動の中でも、特に大きな功績として、2015年にミャンマー政府と少数民族武装勢力の間で締結された「全土停戦協定(NCA)」が挙げられます。井本さんは、本協定の合意に尽力されたことで知られていますが、一般的に考えると、日本人僧侶とミャンマーの少数民族武装勢力の間に結び付きがあるということが不思議です。武装勢力と関わることになった経緯を教えてください。

井本 少数民族武装勢力とのつながりが始まったのは、2008年のことです。この年、ミャンマーを巨大台風「ナルギス」が襲い、死者10万人以上という壊滅的な被害をもたらしましたが、軍事政権は自国で復興を行うとして外国からの支援を拒否したのです。しかし、「四方僧伽」の仲間からエヤワディ地方の惨状を聞いていたため、私は単独で支援活動をすることにしたのです。正規のルートでは入れませんから、まずタイに渡り、そこで僧侶の格好をして、ミャンマー人と偽って国境を越え、現地で食料支援を行いました。しかし、誰かに密告されてしまい、不法入国者として警察に拘束され、インセイン刑務所に収監。その後、すぐに国外退去処分となり、タイに戻ることになったのです。
すると、この出来事がミャンマー人の間で知れ渡り、タイのチェンマイを拠点に活動していた少数民族武装勢力の幹部の耳にも入りました。そこで彼らが私に興味を持ち、コンタクトをしてきたのが関係を持つことになったきっかけです。

▲タイの農業支援事業で合意。KNUのコー・トゥー・ウィン議長と

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