渡航前のイメージと異なる笑顔のミャンマーに出会う
永杉 本日は、中野区にある「ギャラリー冬青」に来ています。こちらは写真専門ギャラリーで、運営母体の冬青社は日本でも有数の写真作品集専門の出版社として知られています。本日お話をうかがう写真家の亀山仁さんは、同社からミャンマーを題材とした『Thanaka』『Myanmar2005-2017』を出版されているほか、写真展も数多く開催されています。また、私が代表理事を務めるNPO法人日本ミャンマー国際支援機構(以下、MIAO)にも参画してくださるなど、写真家以外の活動も精力的に行っている方です。
まず、最初にミャンマーと関わることになった、きっかけから教えてください。
亀山 渡部さとるさんという、新聞社の写真部から独立し写真家になった方がいらっしゃるのですが、私は彼が主宰するワークショップに通っていたのです。そこで2005年12月、ミャンマー撮影ツアーが実施され参加しました。なんだか楽しそうだなというくらいの軽い気持ちで参加したのが、ミャンマーとの縁の始まりです。
永杉 偶然の出会いだったのですね。
亀山 正直なところ、最初はミャンマーに興味や思い入れなどはなかったのです。イメージといえば「軍事政権下でアウン・サン・スー・チーさんが長らく軟禁されている国」くらいしかありませんでした。インターネットを検索しても、当時はほとんど情報がない。本屋に行ってもガイドブックは『地球の歩き方』しかない。ビザを取得するために行った大使館は、当時はなんだか薄暗くて怪しい雰囲気だったので、これはもしかしたら大変な所に行くのではないかと思ったものです。
永杉 実際にミャンマーを訪れてみていかがでしたか。
亀山 旅程はヤンゴン、バガン、ポッパ山、ピンダヤ洞窟寺院、インレー湖などを巡るものでした。12月でしたから、ベストシーズンの美しいミャンマーを撮影することができました。しかし、それ以上に印象に残ったのはミャンマーの人々や暮らしぶりでした。「軍事政権下の抑圧された国」というイメージを持って訪れたのに、人々はいつもニコニコして、市場にはモノがあふれている。ずいぶん拍子抜けしたことを覚えています。
私は人の写真を撮ることが好きなのですが、ミャンマーはカメラを向けても拒否されたり、嫌な顔をされたりするどころか、「撮ってくれ」と笑顔で人々が集まってくるような国でした。そんな穏やかな姿に魅了され、もっとこの国を撮ってみたいと思い、それ以後何度もミャンマーを訪れて、作品を撮りためていくことになりました。