【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

<2019年2月号>ヤンゴンロータリークラブ会長 ヘイマー・マウン氏

今回のテーマ  2014年にリバイバルしたロータリークラブ

ヘイマー・マウン氏 [Daw Haymar Maung]

ヤンゴンロータリークラブ会長
1987年ラングーン芸術科学大学(現ヤンゴン大学)で学士号取得。91年同大学で修士号取得。フリーランスの英語教師として活動を始め、99年にはInternational House Londonへ短期留学し、英語教授法を学ぶ。2014年からヤンゴンロータリークラブ会員。2018年から1年間会長を務める。ミャンマーにおける女性の会長はロータリークラブ初。

ミャンマーの発展に欠かせない支援
日本と協力し多方面への援助継続を

親族には元大統領も
ミャンマー初の女性会長

永杉 本日はヤンゴンロータリークラブ初の女性会長であるヘイマー・マウンさんにお話をうかがいます。早速ですが、ご自身の来歴についてお話しください。

ヘイマー 職業は英語教師です。父、母、兄が医師という家に生まれましたが、教師になりたいという夢があり、英文科に入学しました。1991年に修士を取得し、当時から現在に至るまで教師をしております。

永杉 ロータリアンの友人から話をうかがったのですが、ヘイマーさんはシャン州の王族をルーツに持ち、親戚には元大統領もいらっしゃるそうですね。

ヘイマー あまり家のことを自慢したくはありませんが、母方の祖母はシャン州の王族だったそうです。また、1952年から二代目大統領を務めたバー・ウ元大統領は母方のおじにあたります。

永杉 ところで、英語教師としてヤンゴンでは一番の人気だと聞いています。私はアメリカのカリフォルニアに7年間ほど居住したのですが、ヘイマーさんほど流ちょうには話せません(笑)。どのような実績を積んでこられたのでしょうか。

ヘイマー 教師としてのキャリアは29年になります。大学で学んだほか、99年にはCELTA(英語を母語としない人を対象とした教授法)取得のためにイギリスへ留学しました。帰国後は朝9時から夜9時まで教え続けるなんてこともありましたね。
現在はロータリークラブの会長職もあり、授業数を減らしていますが、Facebookで1万4000人ほどのフォロワーに教えています。元々、教えることが好きなのでこうした活動は今後も継続したいですね。

社会情勢の変化で活動休止
40年を経て復活したクラブ

永杉 長い歴史と格式を持つヤンゴンロータリークラブについてお聞きします。設立からの経緯をお話しいただけますか。また、現在の会員構成も教えてください。

ヘイマー 永杉さんもご存知の通り、ヤンゴンロータリークラブはアジアの中でも比較的歴史が古く、1929年に設立されています。しかし、社会情勢の変化により74年に一旦活動を停止し、2014年にようやく再開しました。私は再開後に友人から紹介され加入。現在は会長をしていますが、会長職は1年ごとに入れ替わるので、2018年から2019年のみの会長ということになります。会員はビジネスパーソン、医師、弁護士、技師などさまざま。ビジネスに関わっている方々が多い印象です。

永杉 世界のロータリークラブでは多岐にわたる社会奉仕活動を行いますが、ヤンゴンロータリークラブでは主にどのような活動をされていますか。

ヘイマー 近年の活動で特にお話ししたい取り組みは2つあります。一つは「Alliancefor Smiles」。先天的に唇や口蓋が割れてしまっている口唇裂や口蓋裂の手術援助をアメリカの組織と協力して行っています。これまでザガインやミッチーナなどで手術を行っており、次回予定している手術が9例目。口唇口蓋裂の手術は見た目の改善だけでなく、患者さんの精神面を前向きにできる意義深いものと考えています。
もう一つの取り組みは救急救命に関するトレーニング事業。救命現場における対処法や安全な搬送方法などの訓練をオーストラリアなどと協力して行い、救命資格取得のサポートなども実施しています。

永杉 大変熱心に活動をしていらっしゃると評判ですが、その原動力はどこにあるのでしょうか。

ヘイマー ミャンマーには援助を必要とする人が数多くいます。クラブの活動はミャンマーの発展に直結するもので、そのお手伝いをしたいという思いが強い原動力と言えるでしょう。また、父母や仏教の影響で培われた、ボランティアは当たり前のものという考え方も活動に影響していると思います。

活動休止中も支援を続けた日本
学校建設にさらなる支援を

永杉 日本のロータリークラブやボランティア団体との協力関係はいかがですか。

ヘイマー 日本とは深い関係を築いています。近年のプロジェクトだけ見ても3つほどあり、世田谷、吹田、新潟などのロータリークラブとともに活動を行っています。また、国際医療ボランティア団体であるジャパンハートとの協力も継続的に行われています。

永杉 ジャパンハート最高顧問の吉岡医師には、以前TOPインタビューでご登場いただいていますが、現在も精力的に活動されているとても立派な方です。ほかに日本に支援を頼みたい分野などはありますか。

ヘイマー 支援が急がれるのは教育関連。地方では校舎が老朽化して使えず、木陰で教えているというケースもあります。また、村に小学校しかなく、遠方の中学校に通う経済的余裕もないため、勉学を諦めなければならない子どもも多くいます。昨年、バガンの小学校校舎を建設する援助を行いましたが、さらなるご支援をお願いしたいと考えています。
また、日本は卓越した技術を有しています。それをミャンマーに伝えてもらい、勉学の道に進めない学生に職能を身につけさせるような仕組み作りができればと考えています。

永杉 現在ミャンマーと日本は、官民ともにとても良い関係が築かれていると思いますが、日本の印象と今後の日緬関係の展望についてお話しください。

ヘイマー 日本には一度だけ行ったことがあります。ルールを守り、問題が起きればしっかり謝るという社会のルールは素晴らしいと思いました。これは我が国が学ばなければならないことです。ミャンマーのロータリークラブが中断していた時代も、日本のロータリークラブはさまざまな支援を続けてくれました。日本には、いかなる時期でもボランティア、ビジネスともに密接な関係を築いてくれていたことに深く感謝しております。こうした関係は今後も末永く続いていくだろうと考えています。

永杉 両国の関係がさらに深まっていくというお考えには私も同感です。今後もミャンマーの発展、そして日本との絆の構築でお力を発揮されることを期待しています。本日はご多忙の中ありがとうございました。

永杉 豊[NAGASUGI YUTAKA]

MYANMAR JAPON CO., LTD. CEO
ミャンマー・日本・バンコクで発行するビジネス情報誌「MJ Business」、英語・緬語ビジネス情報誌「MJ + plus」の発行人。ミャンマーの政財界や日本政府要人に豊富な人脈を持ち、ビジネス支援や投資アドバイスも務める。日本ブランドの展示・販売プロジェクト「The JAPAN BRAND」主宰者。一般社団法人日本ミャンマー友好協会副会長、公益社団法人日本ニュービジネス協議会連合会特別委員、ヤンゴン和僑会会長、UMFCCI(ミャンマー商工会議所連盟)、ヤンゴンロータリークラブ所属。