【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

日本財団会長・ミャンマー国民和解担当日本政府代表 笹川陽平 氏

今回のテーマ
〝沈黙の外交〟が生んだ、ラカイン停戦

笹川陽平 氏 [Yohei Sasakawa]

日本財団会長、笹川平和財団名誉会長
1939年1月8日東京生まれ。アジア最大規模の財団のトップとしてアジア、アフリカ、南米などを訪れ、国際的な課題解決に力を入れている。国際法曹協会「法の支配賞」(2014)、国際海事機関「国際海事賞」(2014)、ガンジー平和賞(2018)、文化功労者(2019)、旭日大綬章(2019)、など多数受賞。著書『世界のハンセン病がなくなる日』(明石書店)、『残心 世界のハンセン病を制圧する』(幻冬舎)など多数。<主な役職>日本財団会長(2005年7月より現職)、笹川平和財団名誉会長(2016年7月~)、WHO(世界保健機関)ハンセン病制圧大使(2001年5月~)、日本政府 ハンセン病人権啓発大使(2007年9月~)、ミャンマー国民和解担当日本政府代表(2013年2月~)。
笹川陽平オフィシャルブログ:http://blog.canpan.info/sasakawa/

対空砲火を浴びる危険の中、現地を視察して住民の声を聞く

永杉 今回はミャンマー国民和解担当の日本政府代表を務める、日本財団会長の笹川陽平さんにお話を伺います。笹川さんはミャンマー西部ラカイン州で戦闘を続けていた少数民族武装勢力アラカン軍とミャンマー国軍を仲介。2022年11月29日までに停戦合意に導きました。

笹川 2020年、アウン・サン・スー・チー政権下で総選挙が実施された折りに、私は日本政府の選挙監視団団長としてミャンマーを訪れていましたが、ラカイン州とシャン州の一部では戦闘が行われていたために選挙ができなかったのです。
 そこで細い糸を手繰ってアラカン軍の議長と連絡を取り合い、選挙についてオンラインで会談を持ちました。投票が行われず国会議員を出せないとミャンマーの中でラカイン州が孤立してしまうと話し合ったところ、議長は停戦をしようと決断してくださったのです。

永杉 その後、笹川さんはラカイン州の危険な地域にも入っておられる。

笹川 実際に現場を見なくてはなりませんからね。チャウッ・ドーほか激戦地に入りましたが、飛行機に乗ったときは機内に「アップ、アップ!(高度を上げろ)」という声が聞こえるほど、対空砲火で狙われるような状況でした。
 現地では農民や商店主、川の渡し場にいた人々、トラックの運転手……そういった人々に直接、選挙について聞きました。すると誰もが、ラカイン州が孤立することは良くない、ネピドーに代表を送りたいと訴えるのです。
 その後にラカイン州の州議会に行きましたが、幹部たちは「投票所の準備はできているし避難民も戻ってきているので選挙はできます」と自信をもって言うのです。こうした情報を、首都のネピドーに上げました。しかしNLD(国民民主連盟)から、ラカイン州の立候補者がアラカン軍に人質としてとらわれており、このままでは選挙ができないと言われたのです。そこで再度アラカン軍と交渉し、NLD候補者の釈放に成功しました。しかし、なぜか選挙は実施されませんでした。

永杉 しかし、その後クーデターが起こり、ラカイン州でも国軍とアラカン軍の戦闘が激しくなり、市民は困窮を極めました。

笹川 2022年になり、私たちのほうで人道支援の物資も用意しているので、軍事的・政治的というよりも人道的見地からの停戦をお願いしたいと国軍、アラカン軍双方と話し合意に至りました。11月26日のことです。

▲町の船着き場にいた人たちに話を聞く(2020年11月)

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