今月のKEY PERSON

BRYCEN MYANMAR 柴田裕一 会長

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経済が低迷するなかでも好調を続けているIT企業・ブライセンミャンマー。
2015年にわずか3名で立ち上げ、今や100名を超える企業に成長した。
新型コロナウイルスの影響もあり、ミャンマーでもDXが進み、独自開発のソフトへの問い合わせも増えている。柴田会長に今後の展望を聞いた。

ミャンマーのDX化を推進 自社製品も好調なIT企業

立ち上げ時のスタッフは3人
難局が続くが事業は拡大中

 1986年設立、世界5か国で展開し、グループ合計700名以上の社員を有するIT企業のブライセン。クアルコムのパートナープログラム認定企業であり、独自技術の画像処理、物流・流通ソリューション、システム開発、オフショア開発・BPOなどを主業とし、自社で開発した製品も多数揃え、コロナ禍でのDX(デジタル・トランスフォーメーション)の追い風も受けて堅調に成長してきた。

 ミャンマー進出は2015年。当時、別の事業をしていた柴田会長が、本社・藤木社長からの支援を受け、ブライセン100%子会社としてスタートを切る。今やスタッフ110人の企業となったが、開始当時はわずか3人。事業も当初はMPTの業務委託を受け、インドやタイ、シンガポールなど海外の優秀なエンジニアの契約代行が主だったが、徐々に開発案件が軌道に乗り、2016年に10人、18年に50人、20年に100人体制まで規模を拡大してきた。

 立ち上げ当初の開発案件は社内用のシステム開発が主であったが、その後はティラワの日系メーカーや日本からのオフショアプロジェクトも増えたことで、スタッフを増やしていったという経緯がある。支店をマンダレーにも構え、ヤンゴンと合わせて2か所で事業を行っている。「BPO(Business Process Outsourcing)案件を伸ばしたいときに、ヤンゴンだけだと人材採用に限界がありました。そのためマンダレーにも支店を作りました」と話すのは柴田会長。

 コロナ、政変と難局続きのミャンマーでも大きな影響を受けず、好調を継続しているのが独自製品の「バモール」。事業の根幹は人材採用や育成であり、PC普及率も低いミャンマーでは当然困難がともなう。IT大学卒業という肩書きにも関わらず、PCを触ったことがない新人が多く、業務を任せられる人材に育つまでにも時間がかかってしまう。「毎年5つのIT大学からインターン生20人ほどを採用し、そのうち10人ほどを社員として雇用していました。今は大学が開校していないので厳しいのですが、今年7月に人材を募集したら中途人材100人以上から履歴書が送られてきました。現在は買い手市場と言えます」

独自開発のソフトが追い風
ミャンマーのDX化に貢献

 人材育成は、2016年入社したほとんどのスタッフがリーダーに昇格し、彼らが先輩となって後輩たちを徹底的に指導。ミャンマー人が新人に教えるという指導方法が奏功し、ミャンマー人目線の育成が実を結んでいる。「2018年は離職率ゼロを達成しました。スタッフは『ここは家族みたい』と言ってくれています。先輩たちがしっかりと後輩を教えてくれますし、面倒見がいいので助かっています」。

 そんなスタッフたちが着実に成長し、今では前述したERP勤怠管理ソフトウェア「バモール」や製造業向け倉庫管理システム「WMS」、財務経理システム、オンラインペイメント「B-Cash」など、ミャンマーの事情に即した製品を次々と開発。ある日系の製造業で「バモール」を導入したところ、目覚ましい効率化を達成し、顧客からも高い評価を受けた。また、「B-Cash」はサイトに簡単に組み込むことができ、コストも売り上げの数%というからオンライン決済が広がりつつあるミャンマー市場では大きな可能性を秘めている(詳細はP4にて)。

 これまで顧客は日系が多かったが、コロナ禍を経て増えてきたのがローカル案件。「バモール」を複数の企業に提案したところ、反応もよく、順調に問い合わせも増えてきている。「今月はすでに2社のトライアルが決まり、11月から導入する企業もあります。提案もミャンマー人スタッフだけでクロージングしています」。

 今後戦略として掲げるのは、ミャンマーのDX化。今やIT先進国となったエストニアのように予算や人材が枯渇している国こそ、ITを導入しやすい土壌が整っており、当然ミャンマーも例外ではない。「ミャンマーにある企業、そしてミャンマーという国のデジタル化に寄与するというのが弊社の思いです。DXのコンサルならお任せください。ウェビナーも定期的に開催しますので、一緒にミャンマーのIT化を進めましょう」。

柴田 裕一[Shibata Yuichi]

1963年生まれ、愛知県出身。
中京大学体育学部卒業後、京都の企業でハンドボールの実業団メンバーとして活躍。2000年に携帯関連企業に転職し、13年ミャンマーで起業。15年にブライセン本社・藤木社長より、ミャンマー事業を任され現在に至る。