【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

<2019年6月号>Okkar Thiri Co., Ltd. 会長 サン・サン・イー 氏

最新の医療機器導入が進むミャンマー
創業21年の企業が狙う市場のリーダー

今回のテーマ  ミャンマー最大規模の医療機器販売企業

サン・サン・イー氏 [Dr. San San Yi]

医療機器販売企業 Okkar Thiri社会長。
7歳から家族でイギリスに移住。帰国後、ミャンマーの大学を卒業し医師となり、公立病院等で10年間勤務。その後、UNICEFでの勤務やフランス移住などを経て、夫が設立したOkkar Thiri社の経営に参画。ミャンマーで初めてMRIやPET-CTの導入を行うなど多くの実績を残しているほか、National Blood Bank設立に尽力するなど、ミャンマー医療の発展に尽くしている。

車椅子からMRI、救急車まで
医療機器・設備全般を販売

永杉 本日は、ミャンマー最大規模のメディカル機器販売企業Okkar Thiri社のサン・サン・イー会長にお話を伺います。まずはじめに、御社について教えてください。

サン ミャンマーに世界品質の医療機器を広めることを目的として1998年に設立しました。当社最大の特徴は、車椅子からMRIまで、医療現場におけるさまざまな機器・設備をワンストップで揃えられること。Ka n T h a r Ya r H o s p i t a l、A s i a R o y a lHospital、Mahar Myaing Hospitalなど、官民問わずさまざまな病院で機器導入の実績があります。2012年から16年は、政府の入札において当社の受注件数がトップで、トヨタ製の車両にイタリア製の設備を取り入れた救急車などを販売しました。

永杉 ミャンマー国内で非常に評価され、また御社の実績を見るとミャンマーの医療の発展に多大な貢献をされていますね。

サン 今では最先端設備の導入も増えましたが、創業当初に着手したのは医療用酸素の導入でした。当時は医療用酸素のシステムが各病院に行き渡っておらず、命を落とすケースが頻発していました。
 創業から4年後の2002年には、ネピドーの病院にHitachi製のMRIを導入。17年には、ヤンゴンの病院にサイクロトロンとPET-CTを導入するなど、世界の最新医療機器をミャンマーに普及させています。また、ヤンゴンとマンダレーの病院に無菌手術室の設備を整えた実績もあり、術後の感染症の発生率を大幅に減らすことができました。
 2010年にはNational Blood Bankの立ち上げにも参画。同施設にはタイのウボンラット王女も寄付をしてくださり、オープン時にはテープカットにご参列していただけました。このようにさまざまな側面からミャンマーの医療発展に貢献していると自負しています。

医療機器関連のISOも取得
高い品質が会社の成長を支える

永杉 創業から21年とミャンマーの同業種の中ではかなり長い部類に入り、多くの実績を残しています。成功の秘訣はどこにあるとお考えでしょうか。

サン 医療機器を扱う以上、すべてにおいて優先されるべきは品質です。当社は世界基準の品質を保てていることが成功の要因の一つだと思います。イギリスの認定機関から品質マネジメントシステムのISO9001:2015を取得しているほか、医療機器に特化した品質マネジメントシステムであるISO13485:2016をミャンマー企業として初めて取得しました。こうした世界基準の高い品質を維持できる人材が多く揃っていることも、当社の大きな強みと言えるでしょう。

永杉 ミャンマーではジョブホッピングなどがネガティブな情報として語られることもありますが、人材面で問題は起こっていないのでしょうか。

サン 当社は人材面に関する問題はありません。会社設立時の社員はほとんどが今も働き続けており、現在ではセールス、アドミン、エンジニアの各部門に50名ずつ、合計で約150名が働いています。

永杉 創業当初からの社員が今もほとんど在籍しているのは素晴らしいですね。人材が定着する理由はどこにあると考えますか。

サン 社員一人ひとりを家族と考えて向き合うことを重視しています。それぞれが抱える問題を理解し、自分のことのように考えています。また、トップだけが利益を享受するのではなく、しっかりと還元することも大切。ミャンマーでは社員旅行の重要性が高いですが、当社もこれまでバンコク、シンガポール、マレーシア、香港、ベトナム、韓国などへ社員を連れて行っています。次は日本に行きたいと考えているので、もっと頑張らなければいけませんね。

永杉 成長するメディカル機器の企業ですが、今後のビジョンを教えてください。

サン 目標としては、この分野におけるマーケットリーダーになることです。そのためにはやはり品質が大切。QualityEquipment、Quality Management、そしてQuality of After Sales Serviceの「3Q」を高めることを念頭において、地に足をつけた事業を展開していきたいと考えています。

日系企業との協業は多数
今後も日本製品の販路拡大を

永杉 日本についてお聞きします。HitachiのMRI、トヨタの救急車などにも言及されていましたが、他にも日系企業との取引きはありますか。

サン 代表的なところでは、医療機器メーカーのMIZUHOとお付き合いがあります。同社製の手術台10台をミャンマーで販売するという計画からビジネスが始まったのですが、最終的に当社はミャンマー全土で455台販売しました。これにより、同社から表彰もされ、良好な関係を築くことができました。

永杉 日本とミャンマーは長い友好の歴史を有しています。今後、両国の関係はどのようになるとお考えですか。

サン 日本人はミャンマー人よりも規則や時間をしっかり守るという違いはありますが、両国の国民性はとても似ていると思います。また、日本語とミャンマー語の文法が似ていることも特徴。これにより、ミャンマー人は半年もあれば、ある程度日本語を話せるようになります。こうしたことから、両国がビジネスで協業するハードルは他国に比べて低く、今後もより深い関係に発展していくのではないでしょうか。
 当社では現在、大阪の医療関連企業であるシップヘルスケアホールディングス社と協業する予定がありますが、ほかにも優れた日本製医療機器をミャンマーに紹介できればいいですね。我々には21年の実績とネットワークがあります。ミャンマーでどんな医療機器が求められているかといったアドバイスもできますので、ぜひ我々にコンタクトを取ってほしいですね。

永杉 日本の優れた医療機器がミャンマーの発展に役立つのは大変喜ばしいことです。今後の事業の発展をお祈りいたします。本日はお忙しい中ありがとうございました。

永杉 豊[NAGASUGI YUTAKA]

MYANMAR JAPON CO., LTD. CEO
ミャンマー・日本・バンコクで発行するビジネス情報誌「MJ Business」、英語・緬語ビジネス情報誌「MJ + plus」の発行人。ミャンマーの政財界や日本政府要人に豊富な人脈を持ち、ビジネス支援や投資アドバイスも務める。日本ブランドの展示・販売プロジェクト「The JAPAN BRAND」主宰者。一般社団法人日本ミャンマー友好協会副会長、公益社団法人日本ニュービジネス協議会連合会特別委員、ヤンゴン和僑会会長、UMFCCI(ミャンマー商工会議所連盟)、ヤンゴンロータリークラブ所属。