【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉がミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

根本敬 上智大学総合グローバル学部教授

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今回のテーマ ミャンマー民主化を支援するビルマ近現代史研究者

根本 敬 [Mr.Kei Nemoto]

上智大学総合グローバル学部教授
1957年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。同大学院比較文化研究科博士後期課程中退。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授などを経て、2007年4月より上智大学外国語学部教授。2014年4月より現職。主著に『物語ビルマの歴史』(中公新書)『アウンサンスーチーのビルマ』(岩波書店)ほか、ビルマ近現代史に関する論文・著書多数。

現地で苦しむ人々への食料・医療支援に加え将来を見据えた教育への支援拡充も

ミャンマーから入国拒否
それでも発言は続ける

永杉 今回は、上智大学総合グローバル学部教授で、ビルマ近現代史を専門とする根本敬さんにお話をうかがいます。まずはミャンマーとの関わりについて教えてください。

根本 原体験は1960年代前半、5歳の頃です。父が日本大使館の参事官として赴任し、7歳までヤンゴンで暮らしました。その後、大学一年の終わりに旅行で訪れた際、「日本軍と一緒にイギリス軍と戦った」という日本語が堪能なビルマ人とマンダレー空港でたまたま出会ったんです。その方とお話しした経験が印象深く、両国の関係史を勉強したいと思い、当時学んでいた教育学から歴史学に転科しました。学部卒業後は都立高校の教員になりましたが、やはりビルマ史を研究したかったので大学院に入り直しました。その頃、「文部省アジア諸国等派遣留学生」という制度があったので、そちらに応募し、1985年10月から87年10月まで、社会主義末期のビルマに留学。この2年間が私のビルマ研究の礎を築いたと言えるでしょう。

永杉 根本さんはミャンマーの民主化に声を上げ続ける研究者としても有名です。しかし、それがゆえに国軍に目をつけられ、長年入国できない状態が続いています。それほどまでの圧力をかけられても、民主化への発言を続ける原動力はどこにあるのでしょうか。

根本 留学を終えて帰国した翌年の1988年、民主化運動が起こりました。あのときに感じた「研究者としての敗北」とでも言うべき苦い経験が、今の行動につながっています。
 私は歴史研究者ですが、地域研究者でもあります。地域を研究する者として、対象地域に住んでいる人たちの思いを汲めないようでは駄目だと思っています。しかし、私にはそれができていなかった。留学中は寮に入り、ビルマ語にどっぷり浸かって現地の料理を食べ、さまざまな職種の人と交流を重ねました。同年代の若者とも多く話しましたが、そのときに感じた印象は「政治や軍への諦観」。政治の話を聞いても多くは語らず、このシステムの中でどのように蓄財するかという話をする人が大半だったため、もはや諦めていると感じたのです。ところが、帰国後のテレビに写ったのは、デモで盛り上がるヤンゴンの街と声高に人権を叫ぶ若者の姿。私は彼らの中にくすぶる不満を見抜けなかった。それ以後、より突っ込んで政治の話を聞くようになり、多くの人々が支持する民主化運動に関して共に声を上げることにしたのです。

軍政末期から続く不満
軍内部の対立も見え隠れ

永杉 あらためて、今もなお弾圧が続く今回のクーデターの背景を分析してください。

根本 テイン・セイン政権時代から続く軍内部の不満が爆発した結果だと思います。国軍の現役幹部は「テイン・セインはやりすぎた」と考えているようです。経済改革はいいが、民主改革をやりすぎた、当時の民主派政党NLDに自由を与えすぎたというのです。その結果、政権交代後に軍は政治的な立場を弱体化させられ、我慢の限界に達したのでしょう。

永杉 国軍出身ながらも改革派であったテイン・セイン元大統領は、メディアの自由化や人権侵害に抵触する法律の撤廃などを実施しました。今回の件では表に出てきていませんし、日本政府も接触していないようです。

根本 おそらくですが、ミン・アウン・フライン国軍総司令官はテイン・セイン氏を嫌っているはずです。士官学校の卒業期では9期上にあたる人ですが、軍に不利な改革を進めた困った先輩だと思っているでしょう。日本がテイン・セイン氏と接触していないのは、接触の事実が公になればミン・アウン・フライン氏の機嫌を損ねることになるから動けないという側面もあると思います。

永杉 国軍は選挙の不正を訴えるとともに、スー・チー氏が軍との対話を全く行わなかったことに不満を持っていたとも言われています。

根本 内閣よりも上の機関であり国防上の重要事項を決定する国防治安評議会というものがあります。テイン・セイン政権時代までは頻繁に開かれていましたが、民政移管以降はまったく開催されませんでした。この組織は定数11人のうち6人が軍人という構成ですから、NLDとしては多数決で負けが確定している会など開けなかったのです。こうした状況の中で、2019年には民主派メディアが「NLDは水面下であっても軍と接触する努力をしたほうがよい」という論調の記事を掲載するなど、一部では両者の対立構造に不安を感じる人もいたようです。

CFで多額の支援金を獲得
日本人の関心の高さを知る

永杉 問題の収束が見通せないなか、新型コロナウィルスの爆発的な感染拡大もあり、生活に困窮する国民も急激に増えてきています。根本さんは、ミャンマーの人道支援のために共同でクラウドファンディング(以下CF)を立ち上げ、多額の支援金を集めることに成功しました。今後、日本人はミャンマーに対してどのようなサポートをするべきでしょうか。

根本 CFは山形大学の今村真央教授が声を上げ、私も発起人に加わりました。最終的に5,500万円もの金額が集まり、寄付者への感謝と共に日本国民の関心の高さを実感しています。現地での活動は国軍の圧力もあり一筋縄ではいきませんが、発起人の一人であるNGO「日本ビルマ救援センター」の中尾恵子代表の力も借りて、食料・医療支援が始まっています。
 私はさらに、教育・研究への支援も行わなければならないと考えています。今回のクーデターで国に居場所がない知識人が多く発生しました。各国は彼らを受け入れ、奨学金を出して研究が継続できるよう配慮すべきでしょう。また、現在の民主派政府NUG(国民統一政府)の中に連邦大学を創設する構想があるそうです。これは軍主導の教育体系ではなく、真に民主的な大学を作るというものです。少数民族居住区に設立するようですが、この構想への海外からの財政支援に加え、開学後は海外の大学教員有志によるボランティア講義などの支援が望まれます。

永杉 近い将来、国軍による不当な支配が終わった後、新しい国を作る人材を育てるためにも教育は不可欠です。現在苦しむ人々への人道支援とともに、将来にも目を向けられていることは大変素晴らしいと思います。本日はお忙しい中ありがとうございました。

永杉 豊 [Nagasugi Yutaka]

MYANMAR JAPON CO., LTD. CEO
MJIホールディングス代表取締役

学生時代に起業。その後米国永住権取得。ロサンゼルス、上海、ヤンゴンに移住し現地法人を設立。2013年からミャンマー在住。月刊日本語情報誌「MYANMAR JAPON」、英語・緬語情報誌「MJ + PLUS」を発行、ニュースサイト「MYANMAR JAPONオンライン」を運営、3メディアの統括編集長も務める。日本ブランドの展示・販売プロジェクト「The JAPAN BRAND」、TVショッピング「TVSHOP」を企画運営。(一社)日本ミャンマー友好協会副会長、(公社)日本ニュービジネス協議会連合会特別委員、UMFCCI(ミャンマー商工会議所連盟)、ヤンゴンロータリークラブ所属。東京ニュービジネス協議会2017年国際アントレプレナー賞特別賞受賞。