今月のKEY PERSON

日本システム企画 代表取締役社長 熊野 活行 氏

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軍事政権時、外国人が仏像を所有するなど到底許されることではなかった。しかし、この地で301体もの仏像を秘密裏に収集し、すべてを寺院に寄進した日本人がいる。なぜ身の危険もかえりみず、仏像を集めることができたのか?ミャンマー支援に情熱を燃やす熊野氏に話を聞いた。

危険をかえりみずに仏像収集 ジャパンパゴダ最大の功労者

不思議な体験が連続
ミャンマーとの出会い

 ミャンマー在住者なら、“ジャパンパゴダ”ことアウンザブタイヤ寺院の名を、一度は聞いたことがあるかもしれない。ヤンゴン市内から約1時間半のモビ郡区にある同寺院は、301体の国宝級の仏像が収められ、それらすべてを寄進したのが、今回のキーパーソン・熊野氏。

 熊野氏は、日本で主に配管内防錆装置「NMRパイプテクター®」を製造・販売する「日本システム企画」の社長でありながら、1992年からモンゴルを支援。現地に大学を設立し、中古の医療器具を寄付するなど、約10年に渡りサポートをしてきた。

 ミャンマーとの関わりは2002年から。モンゴル支援がひと段落したことから知人から誘いを受け初来緬。熊野氏は「驚いたのは幼児に蒙古斑があり、文法も日本語と同じ。本能的に近いものを感じた」と振り返る。同年には「日本ミャンマー友好交流協会」の発足に尽力し、最大の転機となったのが、05年のバガン旅行。エーヤワディー川(旧称イラワジ川)を船で移動中、突然ボロボロと涙が止まらなくなるという不思議な体験をしたという。帰国後、エーヤワディー川の歴史を調べると、太平洋戦争時にインパール作戦で多くの日本兵が命を落とした場所だと知り、運命的なものを感じずにはいられなかった。

 2ヵ月後、再びバガンを訪れた際には、夜に乗車したタクシーが道に迷い、崩れかけの洞窟のような場所に到着。暗闇の奥から何者かの視線を感じ、そちらに視線を向けると、鬼のような形相で睨まれるというおぞましい体験をする。なんとかその場からは離れることができたが、帰国後、毎夜のようにその恐ろしい形相が夢に現れ、うなされる日々が続いた。「よくよく考えると洞窟だと思っていた場所はパゴダでした。そして毎夜、現れたのは鬼ではなく仏像。つまり、その仏塔を修復してほしいというお告げたと確信しました」。

 熊野氏は改めてバガンを訪れ、すぐさまパゴダの修復に着手。それは紀元前200年から西暦900年の間に栄えたピュー王朝時代の希少なもので、修復が完了するとすっかり悪夢にうなされることもなくなった。その後も熊野氏はインワチャウー寺院や仏像の修復など、精力的にミャンマーへの支援を続けた。

ジャパンパゴダが落成
1日に5万人が参列

 そして07年、僧侶と軍部が対立する反政府デモ、通称“サフラン革命”が勃発。軍事政権に反対する仏教徒が全国規模でデモ抗議を開始すると、軍はこれを徹底的に弾圧。寺院へのお布施を禁止し、経済的にも僧侶たちを苦しめ、ついには仏像を売却しようとする僧侶も現れる。そんな実情を知った熊野氏は「自分がやるしかない」と自費での仏像購入を決意。国宝級の仏像が一旦海外に流出すれば、二度とミャンマーには戻ってこない。熊野氏は軍部が立ち入ることができなかったヤンゴン近くのパンラインに屋敷を借り(当時パンラインは300人に及ぶ独自のセキュリティで保護されていた)、国外へ流出寸前の仏像収集を開始した。もし搬送途中に検問所で見つかれば重罰は避けられず、ましてや外国人が所有するとわかれば命の保証もない。「トラックに仏像を乗せ、野菜で隠したこともありました。屋敷のセキュリティが誰一人として政府に密告しなかったことも奇跡的でした。いろいろな方から『ブッダに守られていた』と言われましたね」。

 2年に渡り集めた301体の仏像の寄進先を探していたときに出会ったのが、アウンザブタイヤ寺院のパナウンタ大僧正。一目会ったとき、互いに「前世で離ればなれになった兄弟」だったと確信したという。その場で大僧正に仏像を託すことを決め、2018年12月には5階建て大聖堂の落成式が行われた。世界40ヵ国から仏教指導者たちが集まり、2000人以上の僧侶、政府要人、数万人の一般市民が参列する大規模な行事。現在、同寺院では、週末になると仏教徒や観光客など約5万人もの人々が訪れ、仏教徒にとっての一大スポットとなっている。

 今後、熊野氏は同寺院の見どころを増やし、一日かけてお祈りができる仏教の“テーマパーク”の実現を目標に掲げ、周辺地域を日本の門前町のように発展させたいと語る。一方、ヤンゴン市内ではインフラ面の改善も期待されているため、本業である「NMRパイプテクター®」の導入も視野に入れ、ビジネスの拡大も見込んでいる。

 「今まではボランティアばかりでしたが、一方的な支援はよくないんです。ビジネスも同じ。日本には少子高齢化という課題があり、それを解決できるのがミャンマーだと考えています。日本は高度人材の宝庫、一方ミャンマーは若者の宝庫であり、相互に補完関係を構築できるはず。日緬で手を取り、未来を支えていってもらいたいですし、私もそうした動きがあれば支援していきたいと思います」。

熊野 活行 [Kumano Katsuyuki]

Profile
1949年、東京都出身。東京理科大学工学部卒業後、大日本印刷に入社、数々の新技術を生み出し、特許製品を開発。88年、日本システム企画・日本ヘルス食品(現日本ヘルスケア)を設立、代表取締役に就任し現職。創業以来、順調に業績を伸ばしている。