【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

一般社団法人 日本ミャンマー友好協会 藤縄善朗 会長

今回のテーマ 在日ミャンマー人とともに支援活動を続ける一般社団法人

藤縄善朗 [Fujinawa Yoshiro]

1952年埼玉県鶴ヶ島村(現鶴ヶ島市)生まれ。國學院大學卒業後、鶴ヶ島町役場に奉職。教育委員会町史編纂室、議会事務局、政策推進室などに勤務する。2005年に2度目の挑戦となる鶴ヶ島市長選挙に初当選。先進的な区画整理事業や市民連携によるまちづくりを推し進め、財政再建などの改革を実現。3期12年を務めた後に勇退する。退任後の18年に城西短期大学の客員教授、21年に日本ミャンマー友好協会の会長に就任している。

国民統一政府(NUG)との関係をより深化させ
在日ミャンマー人と二人三脚で支援活動を

ホストタウンとして五輪代表選手を受け入れ

永杉 今回は、(一社)日本ミャンマー友好協会の会長に就任された藤縄善朗さんにお話をうかがいます。藤縄さんは2005年から3期12年間、埼玉県鶴ヶ島市長を務められた経歴をお持ちです。まずは、ご自身とミャンマーの関わりについて教えてください。

藤縄 埼玉県鶴ヶ島市には、長い間日緬両国の友好関係構築に尽力なさってきた今泉清詞さんがお住まいです。今泉さんは第二次世界大戦において激戦のビルマで軍務に服しながらも帰国を果たされた方です。戦中も戦後もとても温かく接してくれたビルマの人々への恩返しのため「今泉記念ビルマ奨学会」を立ち上げ、ミャンマー人学生への支援を続けてこられました。私が市長として今泉さんと交流を深める中で、ミャンマーとの関わりを持つようになったのがきっかけです。そうしたご縁から、市としてもミャンマーと友好関係を構築し、東京オリンピック2020では鶴ヶ島市がホストタウンとしてミャンマーチームをお迎えました。その後、私個人としても日本ミャンマー友好協会に所属することになり、2021年6月から会長を務めています。

永杉 初めてミャンマーを訪れた際の印象はいかがでしたか。

藤縄 歴史的に重要な遺産などの見どころも多々ありますが、もっとも印象深かったのはミャンマーの人々です。日本では失われた、あるいは忘れられた温かさが国民一人ひとりに根付いていると感じました。識字率も高く勤勉な人が多いことも印象的で、民主化を果たしたこの国がこれから大きく発展するのだろうという強いエネルギーを感じたものです。

永杉 民主国家として歩み始めていたミャンマーでしたが、2021年2月に国軍によるクーデターが発生しました。知らせをどのように受け止めましたか。

藤縄 コロナで混乱する今、なぜこんなことをするのかと驚き、呆然としました。しかし、報道される現状を見るうちに、民主化の流れを止めてはいけないという思いが強く湧いてきました。当協会としても、自由を求めるミャンマー人に寄り添い、サポートをしていきたいという思いを新たにしています。

永杉 そのお言葉通りに、日本ミャンマー友好協会はクーデター後も精力的な活動を続けています。協会が関わる直近のイベントなどがあればご紹介ください。

藤縄 まず、4月10日に日比谷公園で「TOKYOダジャン祭り」が開催されます。在日ミャンマー人が中心となり、伝統芸能のステージやミャンマー料理の屋台などが楽しめるイベントです。当協会がパートナーとして共催します。
4月24日には、昨年に引き続き「ミャンマー 鎮魂と平和を祈る集い at 増上寺」を開催します。昨年は増上寺の僧侶8名とミャンマー人の僧侶3名が、1,100人の参加者とともに祈りました。今年はミャンマー人僧侶が6名に増え、犠牲となった市民への鎮魂と平和への祈りを捧げる予定です。
また、在日ミャンマー人有志がクラウドファンディングサイトREADYFORで立ち上げた「【クーデターから1年】ミャンマーで困窮する人々に医療・食糧支援を。」というプロジェクトにも参加しています。我々は主にカヤー州・カレン州・シャン州など、手が届きにくい地域への支援活動を行う予定です。

永杉 昨年末、協会に関わるミャンマーの現地報道で誤報があり、抗議をしたというできごとがあったそうですね。どのような顛末だったのでしょうか。

藤縄 同じ一般社団法人で「日本ミャンマー協会」という団体があるのですが、現地メディアが我々「日本ミャンマー友好協会」と混同して報道してしまったことが、在日ミャンマー人からの指摘により発覚しました。
 「日本ミャンマー協会」は国軍との関係を持つ組織ですが、我々「日本ミャンマー友好協会」は、国軍ではなく国民統一政府(NUG)との関係に重きを置いています。先日もNUG日本代表部の新代表になられたソー・バ・フラ・テインさんと会議を設け、ミャンマーの民主化推進や困窮者への支援活動について話し合ったばかりです。つまり、2つの協会は全く立ち位置が異なる存在です。これを混同されると活動に支障をきたすため、当該メディアには正式に抗議をし、訂正の記事を掲載していただきました。

現地への支援だけにとどまらず在日ミャンマー人も勇気づけたい

永杉 日本ミャンマー友好協会として今後どのような活動を進めていきたいと考えていますか。

藤縄 ミャンマーの民主化については、NUGとの連携をさらに深め、日本におけるカウンターパートとして運動を後押ししていきます。
 支援活動は在日ミャンマー人と協力してさまざまな手段で寄付金を集め、困窮する人々への医療・食糧支援を継続して行っていきます。これに加えて、在日ミャンマー人を勇気づけるようなイベントなども開催していきたいですね。

▲衆参両国会議員とNUG閣僚によるZOOMセッションをこれまでに4回開催している

永杉 今春、NPO法人「ミャンマー国際支援機構」が新たに設立されます。ミャンマーとのつながりが深い逢沢一郎衆議院議員や石橋通宏参議院議員に加え、私永杉が理事となって立ち上げることになったのですが、藤縄さんにも監事にご就任いただきます。NPO法人は、主に現地での食糧と医療支援、そしてミャンマー民主化のためのNUG支援を強力に推し進めていく予定です。

藤縄 NPO法人ミャンマー国際支援機構にはとても期待しており、日本ミャンマー友好協会も連携して活動したいですね。得意な分野も異なるでしょうから、お互いを補い合いながらミャンマーの民主化支援や困窮者支援を進めていきましょう。

永杉 クーデターから1年以上も経過しました。しかしミャンマーの状況は悪化しており、国内で支援を必要とされる方々は増加する一方です。食料や医療の支援は喫緊の課題であり、可能な限り私たちも尽力できればと思います。本日は大学卒業式典の直後のお忙しい中、誠にありがとうございました。

永杉 豊 [Nagasugi Yutaka]

MYANMAR JAPON CO., LTD. CEO
MJIホールディングス代表取締役

学生時代に起業、その後ロサンゼルス、上海、ヤンゴンに移住し現地法人を設立。2013年6月より日本及びミャンマーで情報誌「MYANMAR JAPON」を発行、ミャンマーニュースサイト「MYANMAR JAPONオンライン」とともに両メディアの統括編集長も務める。(一社)日本ミャンマー友好協会副会長、(公社)日本ニュービジネス協議会連合会特別委員、UMFCCI(ミャンマー商工会議所連盟)、ヤンゴンロータリークラブに所属。近著に『ミャンマー危機 選択を迫られる日本』(扶桑社)。