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【特集】取引所オープンでベンチャーの春は来るのか 若き起業家の奮闘

「サービスが一番だ。仕組みは後で作れる」

旅行サイト「オーウェイ」
ネ・アウン社長(36)

ミャンマー生まれ、高校卒業後に渡米。米アリゾナ大学、ロンドンスクールオブエコノミー卒。スタンフォード大学ビジネススクール在学中にオンライン広告会社「ブルー・リチウム」の立ち上げに参画。その後米グーグルに移籍し、「グーグルウォレット」のプロダクトチームや傘下のコンサルティンググループを4年に渡り経験する。2012年に帰緬。

コーヒーショップ発、グーグル流

 800軒を超えるホテル、160ヶ国を超える航空券やツアーを取扱う予約サイト「オーウェイ」。主力の旅行サイト運営の他に、企業向け出張トラベルデスク、車レンタルやタクシーサービス、物流事業と、多彩ながら人や物を「運ぶ」事に特化したビジネスを展開する。
 オーウェイを立ち上げたネ・アウン社長は、高校卒業後アメリカに留学。スタンフォード大ビジネススクール在学中に起業に携わる。ウェブ閲覧履歴から消費者の興味を類推する広告ビジネスで成功を収め、米ヤフーに事業を売却した。その後米グーグルに移り、経営分析やコンサルティングの経験を積む。
 米国でも成功していたが、2012年に祖国に戻りビジネスを始めた。「民政移管でどうなるのか不透明だったが、通信分野に大きな投資がされるという確信はあった」という。「まともにネットがつながる場所は3カ所だけ」という当時のヤンゴンで、初めての職場はネットが使えるコーヒーショップ。インドのエンジニアとネット上でやり取りを重ね、サイトの制作に取りかかった。「当時ミャンマーに旅行予約サイトはまだなく、はじめは難しさも感じた。ただ、同時に強いニーズがあるとも感じていた」。

目標は2年後の地域リーダー

 ネ・アウン社長の思考回路は、グーグルマップなど革新的なサービスを打ち出してユーザーを押さえるグーグルの考え方に一致する。彼は「サービスが一番だ」と強調する。良いサービスで顧客を囲い込めば、決済方法など利益を出す仕組みは後で考えられるという意味だ。だからこそ、サービスが高いレベルで遂行されなくてはならないという。例えば、同社の新サービス「オーウェイ・ライド」は、一般の車とドライバーをタクシーのように利用できる配車サービスだ。同社では登録ドライバーに対して、顧客から注文を受けた時、乗車の前夜、そして3時間前の計3回確認を行う。「ささいな事かもしれないが、勝ち残るには上質なサービスを確実に実行出来るかが最も重要だ」と話す。
 目指すものは「向こう2年で、ミャンマーやカンボジアなどの地域で、旅行とロジスティクスのリーダーとなること」だ。ヤンゴンのコーヒーショップで産声を上げたサービスが、ミャンマーの枠を超えて飛躍しようとしている。

ITベンチャーしのぎ削る旅行業界

旅行業界には、IT を駆使してイノベーションを起こそうとする起業家が次々と誕生している。
長距離バス予約アプリ「スターチケット」を運営するイグナイトのテット・モン・エイ社長(29)は、チケット代金のコンビニエンスストア店頭支払いをミャンマーで初めて実現した。イギリス留学から帰国後、企業勤めを経てソフトウェア会社を創業した。毎週末バスターミナルに出向き、どうやって予約や運行を行っているかを徹底的に分析。イーライトとマンダラーミンのバス大手2社に、タブレットを活用した予約・運行管理システムを導入した。

2014年にはスターチケットのサービスを開始。アプリでバスチケットを注文し、コンビニの店頭で支払いができる仕組みだ。しかし、ミャンマーの環境ではスムーズにビジネスが進まないのも事実。ある利用者は「コンビニでチケットを買おうとしたらネットにつながらない、システムがわかる店員がいないなどで、次々と利用を断られた」と憤る。テット社長はそうした際には自ら苦情電話をとり、トラブル解決にあたる。
このほかにもスマホアプリを使ったタクシー配車サービスなどが次々と生まれており、旅行関連のIT を活用した新ビジネスが相次いでいる。

壁があるならぶち破れ! 挑戦する起業家たち

初のコールセンター
ブルーオーシャン
トゥン・トゥン・ナイン会長兼CEO(39)

 入り口から受付を抜けると、大部屋に数百人のスタッフが並び電話の話し声がせわしなく飛び交う。2011年にミャンマーで初のコールセンターを開始したブルー・オーシャンは試行錯誤を経て、通信大手などミャンマー企業から業務を受託。今やヤンゴンとマンダレーの拠点で900人以上のスタッフを抱える。
トゥン・トゥン・ナイン会長はポテトチップの製造やSIM カードのレンタルなど多数の事業を手掛けたが失敗。その中で、フィリピンで視察したコールセンターのビジネスに感銘を受ける。「ミャンマーにまだないビジネスをやりたかった。国内に大規模な雇用を創り出せる可能性にも魅力を感じた」。
今や大所帯となった組織をまとめ上げるために、毎月200~ 300人の従業員と自ら面談し、現場の問題把握に取り組む。コールセンターには若い人材を配置する一方で、経営陣にはMBA を必須とし、全ての管理部門を1年で経験させるなど、戦略的な人事方針を掲げる。「ミャンマーの三木谷浩史氏」(フォーバル・ミャンマーの松村健社長談)と評する人もいるほどのベンチャーの旗手として知られ、革新的な起業家として表彰も受けている。

プログラマーから農業へ
ジーニアス・コーヒー
創業者 グエ・トゥン氏(39)

シャン州南部のワー・グエン地方は、コーヒー豆の栽培に最適な気候条件が揃う。グエ・トゥン氏は、この地に農場を作ってコーヒー豆を生産、焙煎して販売する。輸出も手掛けている。
グエ氏は、もともとミャンマー語フォントを開発した凄腕プログラマーだった。彼が農業ビジネスへの転身を決意したのは、ミャンマーで飲むコーヒーの味が海外で飲むものに比べて「あまりにまずかった」ことがきっかけという。プログラマー時代の蓄えを元手にコーヒー焙煎事業を開始。ほどなくして農地を買取り、生産に乗り出した。
ただ、畑違いの農業ビジネスは一筋縄ではいかなかった。海外では「ミャンマー産は低品質」、国内でも「輸入品のほうが高品質」と思われており、高品質のミャンマーコーヒーのイメージを作り上げるのに時間がかかった。自社製品を提供する喫茶店「カフェ・ジーニアス」を開店し、実際に味わってもらったうえで販売する方法も導入した。
今後はコーヒー豆に限らず、農業生産者と消費者の直接の取引を目指す。中間業者が農産物を買いたたくことが多いからだ。グエ・トゥン氏は「農家が生産物の価値を正しく判断し、適正に売ることができるようにしたい」と話している。

ベンチャーの機運高まる、資金・人材の壁は高く

証券取引所がオープンし、ミャンマーにもベンチャーの機運が高まっている。2011年以降の対外開放政策やIT 環境の改善も新ビジネス立ち上げを後押しする。従来、若者の独立志向が強いミャンマーだが、ベンチャーを巡る環境はいまだ厳しい。
一番の壁は資金調達の難しさだ。国内の投資家は資源やインフラなど重厚長大産業を重視し、ベンチャーに目を向ける人は少ない。また、銀行は土地などの担保を要求するため、若手起業家には高いハードルだ。有望なビジネスに投資するベンチャーキャピタルも存在しない。ミャンマーから日本に帰化後、ヤンゴンでニュースサイト「チェルモ」を起業した高瀬智也氏は「事業が軌道に乗るまで約2年を生き残れるだけの資金が必要。日本円にすると数百万円から1000万円が要るだろう」と話す。このため、起業に耐えうる資金を用意できるのは、親族に資産家がいるケースや、海外帰国組が多い。また、別の収益事業を確保しながら、メインの新ビジネスに挑戦するパターンもある。
海外の投資家がミャンマーのベンチャー投資に積極的でないのは「出口が見えないから」(コンサルティング会社MCSAの後藤伸介社長)だ。ベンチャーに出資する投資ファンドは通常、株式公開(IPO)後に株式売却で巨額の利益を得ることを目的に、あえてリスクの高い投資を行う。ただ、ミャンマーでは株式市場ができたばかりでベンチャー企業の上場は未知数だ。後藤社長は「現在IPO が有望視されるのは大企業。ベンチャー上場はしばらく先になる」と予測する。
人材の問題もある。ある若手起業家は「メンターがいない」ことに悩む。確かに、先進国ではベンチャー育成の仕組みが発達し、有望なビジネスにはベンチャーキャピタルが経験豊富なCFO などの役員を送り込む。このような「先輩がいない」つらさもミャンマーの若手経営者は味わう。
一方でこの現状を打破しようと、起業を後押しする活動も広がりつつある。そのひとつが2014年に発足した起業家支援団体「パンディーヤ」だ。起業家同士の情報交換やセミナーなど100回以上のイベントを開催。昨年11月のビジネスコンテストは200チームを超える起業家が参加する活況を呈した。このほかにも、米マイクロソフトも1月、起業家支援のワークショップを実施。日本の民間団体「シーセフ」や関西経済連合会などがヤンゴンでコンテストを開催している。こうした取り組みから次世代のベンチャーの誕生が期待されている。