【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

チェリスト・指揮者 山本祐ノ介 氏(P.2)

国や民族の垣根を超えて一つの音楽を作る

永杉 それほどまでのご活動が、当初は手弁当だったとは本当に驚きです。助成が決まった2014年以降はコンスタントに活動を続け、2015年には音楽監督に就任。そしてコロナ禍直前の2020年2月までコンサートを開催していました。
私もヤンゴンで何度か鑑賞しましたが、年々飛躍的にレベルが向上することに驚いた記憶があります。当時を振り返ってみてどのように思われますか。

山本 実に楽しい時間でした。特に印象深いのは、さまざまな方とコラボレーションしてコンサートを作れたこと。例えば、カレン族にはキリスト教を信仰している方が多くいて、彼らが集住するインセイン地区の教会には合唱隊があるのです。彼らにMNSOのコンサートに参加してもらい、ミャンマーの曲を歌ってもらうというコラボをしました。
他にも、「サインワイン」や「チャオロッパ」などミャンマーの民族楽器と、琴や三味線などの和楽器、そしてオーケストラの3つをミックスした企画なども行いました。ミャンマー人観客は大喜びで、とても楽しいコンサートになったのは良い思い出です。

▼ミャンマーの民族楽器サインワイン(浜松市楽器博物館所蔵)

永杉 最初はご苦労も多かったと思いますが、MNSOの活動から得られるものは多かったようですね。

山本 私がMNSOで活動を始めた当初、ミャンマー人の観客にはクラシックの素地がまったくない人が多くいました。「クラシックってなんですか?」という根源的な問いが投げかけられるのです。これが本当に新鮮だった。私は両親に加え祖父も作曲家なのですが、彼らはきっと昔の日本人から同じ問いが投げかけられ「クラシックとはこういうものです」という答えを提示してきたはずです。私はミャンマーで、ご先祖様たちがしてきたことの追体験をさせてもらえたと思っています。
ミャンマー人観客から学べることは他にも多くありました。彼らは音楽や踊りを楽しむのがとても上手です。放っておいても音楽に合わせて体を動かし、歌い出す。あのようにコンサートを楽しめる雰囲気作りや演出は、その後日本でも積極的に取り入れるようにしました。

▲父・直純氏は、映画「ビルマの竪琴」の楽曲を手掛けた

ミャンマーの国内避難民は270万人以上に