【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

<2018年10月号>俳優・アーティスト 森崎ウィン氏

今回のテーマ  世界で活躍する日本育ちの若きミャンマー人

森崎ウィン氏 [Morisaki Win]

俳優・アーティスト
1990年8月20日、ミャンマー人の両親のもとヤンゴンに生まれる。10歳で日本へ移住。14歳のときにスカウトされ芸能界デビュー。ダンスボーカルユニットPrizmaXのメンバーであり、俳優としても活動中。2018年公開のスティーブン・スピルバーグ監督作品「レディ・プレイヤー1」の主要キャストに抜擢され話題を呼んだ。日本語、ミャンマー語、英語を操るトリリンガル。

日緬で絶大な人気を獲得
世界とミャンマーの架け橋に

FBフォロワー数は100倍に
それでも満足はしない

永杉 本日は、今やミャンマーを代表する俳優・アーティストの森崎ウィンさんにお話を伺います。まず、今年公開のスティーブン・スピルバーグ監督作品「レディ・プレイヤー1」への出演が世間を騒がせました。公開前後でご自身を取り巻く環境、そしてご自身にどのような変化がありましたか。

森崎 スピルバーグ監督のおかげで、以前に比べ自分を知っていただける機会が増えたのは大きな変化です。また、夢や目標が大きく広がりました。しかし自分自身に変化があるようには感じていません。

永杉 先日搭乗したANAの機内で映画を拝見しましたが、演技も素晴らしかったです。何か特別な訓練などはされたのですか。

森崎 事務所に入ったあとでレッスンに通ったくらいです。ただ、歌もそうですがまだまだ足りない点も多く、今の自分には決して満足していません。スピルバーグ監督の映画に出演して知名度は上がりましたが、何かを成し遂げたという感覚はありません。

永杉 一方、出演された映画「マイ・カントリー マイ・ホーム」も公開され、ミャンマーでは大変話題になりました。また、所属グループのPrizmaXは、先日ヤンゴンで行われたJAPAN MYANMAR Pwe Taw2018のステージにも立たれるなど、日本とミャンマー双方で人気が急上昇しています。

森崎 JAPAN MYANMAR Pwe Taw 2017への出演、そしてこの映画の制作発表を境に、目に見えて状況が変わりました。PrizmaXの公式Facebookのフォロワー数はそれまで3000人程度だったのですが、以降急激に増加。今では30万人を超えています。JAPAN MYANMAR Pwe Taw 2018は昨年に引き続いての出演で、今後もスケジュールが許す限り、積極的に参加したいイベントです。

3ヵ国語のスキルが強み
世界を舞台に仕事をしたい

永杉 世界で活躍できる理由として、日本語、ミャンマー語に加えてネイティブレベルの英語も操れることが挙げられると考えます。私は7年間ほどロサンゼルスに住んでいましたが、英語はどのように習得されたのですか。

森崎 英語の塾を経営した祖母の厳しい教えで身につきました。スパルタでしたが、それが現在の仕事に役立っているので、今となってはとても感謝しています。

永杉 現時点で抱く夢や目標について具体的に教えてください。

森崎 ミャンマー国内では11月からDVCで「Win’s Shooow Time!」という番組がスタートします。こうした仕事を通じて、ミャンマー国内での知名度をもっと上げてきたいです。また、PrizmaXではアジアツアーをしたいと考えています。
 もちろん、役者としてもっと磨きをかけることも必要です。私は今年で28歳になりますが、30歳までには役者「森崎ウィン」を確立し、日本の民放ドラマの主役を務めたいと思っています。そして10年以内にアカデミー賞を獲る、これが目標です。

永杉 強い願望を持ち、夢をスケジュール化できれば、アカデミー賞獲得も必ず達成できると思います。では、もっと長期的に20年後、30年後はどのような人生を送っていたいと考えていますか。

森崎 それまでに世界一周をしたいですね。元々冒険好きで、ひとつの場所にとどまっているのが苦手なので、ピラミッドを見たり、アンコールワットへ行ったり、自分の知らないところを探索したいです。そして、それが仕事にもつながれば良いですね。その意味で自分の中で一番変わったことは、「レディ・プレイヤー1」に出演したことで、世界を舞台に仕事をしたいという思いがより強くなったことかもしれません。

日本育ちのミャンマー人として活動
世界とミャンマーが近づいてほしい

永杉 将来は母国であるミャンマーとどのように関わっていきたいと考えていますか。

森崎 私が世界に出れば、自ずとミャンマーが知られていくと思っています。10年前には日本では「ミャンマー」と言ってもわからない人が多く、特に私の同世代は大半が知りませんでした。今では、ほとんどの方にわかっていただけますが、これは日本や日本の企業さんなどがミャンマーに対してサポートをしてくれたおかげだと思っています。
 私はビジネスマンではないので、エンターテインメントの道を極めることで、ミャンマーを広めていきたい。「ミャンマーの役者と言えばウィンだよね」「ミャンマーの歌手と言えばウィンだよね」などと言われ、同時にミャンマーが世界に知れ渡れば本望です。

永杉 8月からミャンマー観光大使にも就任され、すでにミャンマーと言えば「アウン・サン・スー・チー国家顧問か森崎ウィンさん」という段階にまで来ていると思います。後押ししてくれたファンの方々に、どのような思いがありますか。

森崎 どんな取材でも必ずお話しすることですが、ファンの方に対しては感謝以外にありません。見てくださるお客様がいるからこそ私たちの仕事は成り立っています。こんな僕を応援してくれてありがとう、そんな思いでいっぱいです。

永杉 ミャンマーと日本や世界との関係についてどのようにお考えですか。

森崎 歴史、政治、ビジネスなどについて、自分なりに考えることもあります。しかし、なによりもミャンマー人が海外に行く際にノービザになればいいですね。私は今後もミャンマー国籍のまま活動するつもりですが、この仕事をしていると、急に海外に行くケースも少なくありません。しかし、ビザ申請が大きな障害になっているので、いつかなくなってほしい。日本や世界とミャンマーが近づいてほしいと切に願っています。

永杉 最後に日本人、ミャンマー人に対して伝えたいことはありますか。

森崎 「ミャンマージャポン」を読んでください!(笑)

永杉 カッコ良すぎますね、さすがです(笑)。 本日は長時間にわたりありがとうございました。今後も益々のご活躍を大いに期待しています。

永杉 豊[NAGASUGI YUTAKA]

MYANMAR JAPON CO., LTD. CEO
ビジネス情報誌「MJビジネス」、生活情報誌「ミャンジャポ!」、英語・緬語ビジネス情報誌「MJ + plus」などの発行人。 ミャンマーの政財界や日本政府要人に豊富な人脈を持ち、ビジネス支援や投資アドバイスも務める。 日本ブランドの展示・販売プロジェクト「The JAPAN BRAND」主宰者。一般社団法人日本ミャンマー友好協会副会長、公益社団法人日本ニュービジネス協議会連合会特別委員、ヤンゴン和僑会会長、UMFCCI(ミャンマー商工会議所連盟)、ヤンゴンロータリークラブ所属。