今月のKEY PERSON

日本ミャンマー未来会議 代表理事 井本勝幸 氏

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ビルマのゼロファイターとして日本の民放番組にも取り上げられた井本氏。さまざまな肩書きを持ち、世界各国で貧困にあえぐ人々の支援を行ってきた。一時は国外退去にもなった井本氏だが、今ではミャンマー政府に貢献する存在に。そんな彼が歩んできた濃密な人生の一部を紹介する。

語りつくせない軌跡の数々 日緬に貢献するゼロファイター

支援のコメを配布中
警察に拘束され国外退去

 ビルマのゼロファイターとして日本でも知られる井本氏。遺骨収集、和平協議のキーマン、農場指導者、そして僧侶。あまりの多くの肩書きを有する井本氏だけに、これまでの軌跡を細かく明記していけば、到底2ページでは足りないが、スペースの許す限り、日緬への功績者の足取りを紹介したい。

 東京農業大学1年生の頃から日本国際ボランティアセンター(JVC)の職員として、ソマリアで農業による永住支援プロジェクトに従事。90年からは、タイ・カンボジア国境の難民キャンプで国連難民高等弁務官事務所傘下のJVCに在籍。91年の「カンボジア紛争の包括的政治解決に関する協定」の調印にともない、タイのカンボジア難民が本国でも仕事に就けるよう就業訓練を行い、キャンプの閉鎖まで尽力し続けた。

 その後、日本に帰国し、「仏教がアジアの人々を救うために必要」との思いから、寺の住職だった叔父に出家を直談判。当時28歳だった。その後は立正大学の仏教学部に編入、寺の副住職を務めながら人助けへの思いは募り、仏教徒による支援団体「四方僧伽」を発足。アジア中を約20年かけて回り、同志を増やしていった。四方僧伽は現在アジア22ヵ国、ロシアにも拠点を持つまでに成長し、活動は今も継続している。

 ミャンマーとの関わりは2008年から。四方僧伽の会議は主にバンコクで行われ、そこで何度となく聞いたのがミャンマーの軍事政権による弾圧だった。「当時は5人以上の集会が禁止。タイにもマレーシアにも難民はいましたが、ミャンマーの惨状を聞くたびに心が痛くなりました」。

 2007年、民衆と軍事政権がついに衝突。僧侶によるデモが引き金となり、ミャンマー中に広がったミャンマー反政府デモ(サフラン革命)だ。日本人カメラマンを含む一般人が射殺された事件として日本でも大きく報道された。井本氏の友人僧侶たちも過酷な生活を余儀なくされ、さらに翌年起こったのが死者10万人以上を出したサイクロン・ナルギス。軍事政権は自国で復旧に努めるとし、外国からの支援を拒否したが、現場で起きていたのは地獄と化した食糧難。ヤンゴン以上に悲惨だったのがエヤワディ地域であり、四方僧伽の仲間から「助けてほしい」とのメッセージを受け取った井本氏は、タイから僧侶の格好をしミャンマー人だと偽り入国。日本円にして200万円ほどのコメを現地で購入し、エヤワディ地域の市民に配った。しかし、思わぬハプニングが勃発。誰かの密告によって不法入国者として警察に拘束、そのままインセイン刑務所に入れられ、即日国外退去となり、タイに戻ることとなった。

武装勢力の感謝を受け
遺骨収集活動を開始

 こうした井本氏の破天荒な行動が思わぬところから評価を得る。当時、ミャンマーの武装勢力のトップたちはチェンマイに活動拠点を移し、井本氏の行動に感銘を受けた組織から「俺たちのところに来い」と呼ばれ、話し合いを続けるうちに意気投合。2011年、ミャンマーでは民主化を迎えるのと同時期に、井本氏は少数民族武装勢力の連合体「統一民族連邦評議会」(UNFC)の発足に尽力。当時、手持ちの資金はすべて底をつき、それでも決して支援をやめない井本氏に対し、リスペクトを込めた付けられたニックネームが“ゼロファイター”だった。「モン州などの武装勢力に政策提案をし、農業支援もしていました。そうしたことが評判となって、他からもお呼びがかかるようになり、今でも17の武装勢力すべてのトップと交流があります」。

 民主化にともない、ミャンマー政府は武装勢力との和平協議に乗り出し、そこで仲介役として白羽の矢が立ったのが井本氏だった。政府の担当大臣からネピドーに呼ばれた井本氏は和平協議の協力打診を快諾した。

 和平協議を望んでいたのは政府だけではなく、武装勢力も同様。井本氏の功績に対し、武装勢力側から提案されたのが、かつてビルマで亡くなった日本軍の遺骨収集だった。インパール作戦で戦死または病死した旧日本軍兵士の遺骨約45000柱を日本へ帰還させることを目的とした「日本ミャンマー未来会議」を立ち上げ、ミャンマー政府の協力の下、活動を開始、現時点で3200柱の遺骨が日本に帰還している。

 農業支援においては、カレン州で継続中。海外から帰国したミャンマー人が職に就けるよう、コメやこんにゃく、綿花などを生産、現在では畜産も行い、鶏、豚、羊ほか魚も養殖している。フルーツも手がけるようになり、バナナやマンゴー、そして肥料までも自分たちの農場で製造し、完全循環型農業を実現した。「商品登録も完了し販売可能になりました。ヤンゴンでは黒川、武士道、神戸屋などで食べることができます」と井本氏。

 ミャンマーでの今後の目標について聞くと、井本氏は「まずは遺骨収集。掘るのは後年でもできるので、今は証言を取ることを優先しています。当時の方達はすでにかなり高齢ですので。またミャンマーの未来を担う人材育成も不可欠です。もしこの国に何かを残せば、日本にもいい形で返ってきますよ。そのために今後も精力的に活動していきます」と締めくくった。

井本 勝幸 [Imoto Katsuyuki]

Profile
1964年、福岡市出身。東京農業大学、立正大学卒業。90年から海外で難民支援を行い、帰国後仏門に入り、2000年に「四方僧伽」を発足。11年より、反政府ビルマ少数民族地域と交流を持ち、現在ではミャンマーの内戦停戦に貢献。旧日本軍兵士の遺骨調査活動を行い、多くの人権賞、外務大臣表彰を受けている。