今月のKEY PERSON

<2019年4月号>KONOIKE MYANMAR Managing Director 田中智之氏

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物流事業として、ミャンマー進出の先駆けとなった鴻池運輸。
近年、成長を遂げているミャンマーだが、7年前は通関の手続きも不明瞭な点が多く、苦労は絶えなかった。
この地の物流を見続けてきた田中MDに、当時の話から今後の展望などを聞いた。

ミャンマー物流のパイオニア 豊富な知見で企業をサポート

暗中模索のなかで事業を開始
1000キロを時速15キロで走行

 1880年、創業者の鴻池忠治郎が運輸業を始め、1900年に鉄鋼分野での工場構内荷役・運搬作業に着手、45年に鴻池運輸を設立した。展開する事業は国内外の物流に始まり、海外での定温物流、倉庫事業などのロジスティック全般に携わる一方、日本国内では製鉄所や食品、化学品工場などにおいてのエンジニアリングサービス、医療機関の総合ソリューションサービスなど物流のみならず幅広いサービスを提供している。
 
 ミャンマーの立ち上げは2012年。当時、縫製業が多く進出し、需要が高まるかと思われたが現実は厳しく、1年あまり苦戦が続いた。初の案件となったのは、13年に総合商社が受注したODA再開第一号案件であるバルーチャン電力プラントの資材搬送。「そもそも日系企業が物流を長年行っていなかったこともあり、手続きもまったくわからず困難な状況でした」と振り返るのは、立ち上げからMDを務め、7年間この国の成長を見続けてきた田中氏。
 
 手始めにバルーチャンまで続く道路の調査に行くと、木造の橋がいくつも点在し、対荷重を確認したところわずか8トンだった。運搬する変圧器を含めたトラックの総重量は60トンに達し、到底橋を渡ることなど不可能と判断。暗中模索を続けるうちに、ODA案件は建設省が交通インフラを整備しなければならないとわかり、建設省に直訴しにいった。「向こうの返答は『日本軍が作った頑丈な橋だから大丈夫』ですよ。『“メイドバイジャパン”だから問題ない』って真顔で言われました」。結局、有効なのかもわからない橋の強度を保証する書類のみが発行された状況で事業を開始した(実際に橋は通行可能だった)。

 苦難はそれだけでは終わらない。でこぼこの悪路で精密機械を運ぶため、自ずとスピードを出すことができず、約1000キロを時速15キロで進まなくてはならなかった。田中MDは走行速度を管理すべく、先導車に乗って同行。可能な限り早く運搬したかったこともあり、ホテルでの宿泊はせず、車中泊を選択。ときに近隣住人から差し入れをもらい、ときに野犬にも追い越されながら進んだ7泊8日の行程が、約1年半続いた。

物流事業は好調、将来的には
ソリューション事業も視野に

 先駆者がいない状況で誰にも頼ることができず、過酷な業務を続けてきた田中MD。とはいえ、あらゆる困難に正面からぶつかり続けたことで、図らずも他社が持ち得ないほどの知見が溜まっていった。「こればかりはやらないとわからないですから。最近、進出してきた企業でも物資を運ぶことはできると思うんです。しかし、それ以外のことが弊社の財産になっています」。

 同社が高く評価されているのは運搬業務もさることながら、的確な助言ができるということ。この国では先進国とはルールが違い、その都度対応が違うことも一般的。一向に事業は進まず、そうした実情に苦しむ企業も少なくない。しかし、同社では発注者とのミーティングにも積極的に参加し、発注者が理解していない手続き、必要書類についてのアドバイスをし、納期を守るためのコンサルまでできるのが強み。これまでの苦労があってこその知見なのである。

 現在手がけている国際物流とODA案件が二本柱。ヤンゴン市内にオフィス、そしてティラワ経済特区(SEZ)に倉庫があり、製造業の運搬が売り上げの約半分を占める。船便が主力でクロスボーダーも行い、最近では生産設備の据え付けや原材料輸送などの案件も増えているという。将来的には、日本国内ですでに主業となっているソリューションサービスに着手したいと田中MD。「私も製鉄事業からキャリアをスタートさせていますし、弊社は物流事業だけじゃないのも強み。今後、ミャンマーには病院も多く建設されますし、それらの物流やソリューションも得意領域。ベトナムやタイではすでに一部開始しています」。

 また、国土交通省が進めている「ミャンマーにおける農産品に係る物流近代化に関する実証事業による調査」を2016年に受託、道中で傷がついて安価にならざるをえないマンゴーなどの農産品搬送の課題解決にも取り組んできた。田中MDは今後も事業を継続し、ミャンマーの発展に貢献したいという。「一時は停滞していた経済もようやく動き出してきた気がします。7年前は視察に来た人が二度と来なかった。しかし、今は進出前提で来られてきていますから、大きな進歩だと思いますよ」

田中 智之 [Tanaka Tomoyuki]

Profile
1974年、京都府出身。関西外国語大学を卒業し、99年鴻池運輸に入社。和歌山県の製鉄所に配属となり、その後関西の国際物流部署に異動。競走馬などの繊細な運搬作業などを担当し、2012年にミャンマーのManaging Directorに就任。7年余りの駐在期間を経て、今年4月に帰任する。