【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

<2015年6月号>衆議院議員 逢沢一郎 氏

今回のテーマ:日本は、ミャンマーへの支援をどう進めるか

衆議院議員、日本・ミャンマー友好議員連盟 会長
1954年生まれ、岡山県出身。慶應義塾大学工学部卒業後、松下政経塾に第一期生として入塾した。1986年、衆議院議員に初当選し、現在当選10回。2003年に外務副大臣に就任。2012年から日本・ミャンマー友好議員連盟の会長を務めている。ミャンマーのほか、アフリカやトルコなど新興国に関する活動にも従事している。自民党の国会対策委員長、衆議院の議院運営委員長や予算委員長など要職を歴任した。ツイッターを積極的に活用しており、国際関係やインフラについての発言が多い。

ビルマ戦線の戦没者追悼 若いころから関わる

永杉 本日は、お忙しいところお時間をいただきありがとうございます。さっそく質問に移りたいと思います。外務副大臣を務められ、また日本・ミャンマー友好議員連盟の会長でもあり、ミャンマー関係には大変力を入れておられるとお聞きします。そもそもミャンマーに関わる縁というのは何だったのでしょうか。

逢沢 私は岡山市の出身ですが、第二 次世界大戦では岡山県出身の将兵がビルマ戦線で戦った例が多かったのです。戦後すぐに、岡山ビルマ会という団体が発足し、ビルマでの戦没者を追悼、慰霊する活動を始めました。衆議院議員を務めていた祖父が日本遺族会の創始者の1 人だったため、私も若いころから戦没者を追悼する活動には参加していました。それに加え、無事帰還した方の中には県議会で議員になったり、有力な経済人になったりした方も岡山県に多かったので、そういった方々を通じてミャンマーとの関わりができたのです。
ヤンゴンの日本人墓地の中には岡山県の慰霊碑があるのですが、そこに揮毫もさせていただいています。私で良かったのかな、と思っていますが。
友好議連などたびたび訪緬

永杉 なるほど、御祖父様の代からの縁なのですね。具体的には、どのような活動をされてきたのでしょうか。

逢沢 ミャンマーの医療・保健衛生の問題では、岡山大学病院の先生が献身的な努力をしてこられました。岡山大学は、ミャンマーの保健省と正式に協定を結んで支援活動をしてきました。近年、ほかの大学にも呼びかけて連合体を組織し、より厚みのある支援が可能になりました。日本・ミャンマー友好議連の会長として、こうした活動に協力しています。

永杉 実際、何度もミャンマーへ足を運ばれていますね。

逢沢 2013 年に、感染症に関する事業の視察で訪れました。また、2014年の1 月には、前年にシュエ・マン下院議長が訪日したのを受けて、衆議院が友好議連を派遣する形でミャンマーを訪れています。同年7 月にも行き、国会議員らと意見交換をしています。
官民協力でインフラ輸出をティラワを成功の象徴に

永杉 ところで国際援助の分野では、アジアインフラ投資銀行(AIIB)の例でみられる通り、中国が存在感を増しています。アフリカや太平洋諸国では顕著ですし、そしてカンボジアなどASEAN 諸国の一部でもそうでしょう。その中で、ミャンマーでは日本が成果をあげていると思います。今後のミャンマーへの支援のあり方をどう考えていますか。

逢沢 ミャンマーと日本は、歴史的にも特別な関係があります。大半の時代は友好的な関係でした。ミャンマーでは2011 年に軍政から民政移管し、極端に言えば、明治維新と戦後の改革とIT 革命が一度にやってきたという表現ができるでしょう。新しい国としてスタートを切ったミャンマーが成功するように、日本もお手伝いをしなければいけないと思います。官民の支援がWINWIN な関係をもたらす局面が多くあります。
支援の一つは、キャパシティビルディングです。法体系や行政の仕組み、制度をきちんと整えることが基礎になります。もうひとつは、何と言っても人材の育成です。スキルを持った労働者が圧倒的に不足しています。例えば、民政移管後に洪水のように中古車が入り込んでいますが、そうすると整備する技術や知識を持った人を育成する必要があります。
個別のケースでは、投資や貿易を促進するためには、日本の銀行の活動も必要でしょう。今回、3つのメガバンクに支店開設の許可が与えられたことは、財務省という一部局を超えて、ミャンマー政府、国民の期待の表れでしょう。周辺国には不満も残ったと思いますし、ミャンマー側の大きな決断だったと思います。日本との関係強化を最優先に考えてもらっているので、次のステップに移らないといけないですね。

ミャンマー人の気持ちを大切にした支援を期待される国だからこそ、応えなければならない

永杉 インフラ輸出の重要性についても強調されていますね。ミャンマー郵電(MPT)はKDDI、住友商事とがっちり組んだ結果、回線の速度が驚くほど速くなっています。マンダレー国際空港やティラワ経済特区(SEZ)の例もあります。ミャンマーに対しては、どのようにインフラ輸出を進めたら良いと考えていますか。

逢沢 象徴的事例として、どうしても成功に導かないといけないのはティラワです。ミャンマーの期待に応える製造業が工場を作るようになることです。港湾の整備も大切です。港湾整備も日本に任せてもらい、日緬協力の象徴に導きたい。また、ヤンゴンの自動車の混雑は大変なものです。山手線のような環状鉄道や、ヤンゴン・ネピドー・マンダレーを結ぶ鉄道などで、ミャンマーの現実を捉えたお手伝いがしたいですね。電力不足も成長のボトルネックのひとつですので、発電事業も進めたいと思います。こういったことを、官民が連携してしっかり進めて行かなければならないと思います。
農業が国の基本 技術供与で生産性のアップを

永杉 ミャンマーは今、すさまじいスの投資による経済成長はもちろんのこと、海外の情報も一気に入ってきています。今年は総選挙もあり、政治制度改革も進めています。より良い方向へ向かうために、日本はどのように後押しするべきでしょうか。

逢沢 スピード感を持った近代化は必要ですが、一方で人々の日々の暮らしや気持ちを大切にしないといけないと思います。ヤンゴンの近代化のスピードと農村の変化では格差ができることは間違いないところです。それはやむを得ないことですが、ミャンマーは農業国です。農村の安定や農民の所得向上を忘れてはいけません。農業の生産性の向上のための技術が必要です。近代化というと、インフラや電力、通信に目が行きますが、一番大切なのは農業。灌漑などで生産性のある農村を作ることが求められていると思います。

永杉 農業がミャンマーの根幹であるとのご指摘、その通りだと思います。前号で対談したウィン・ミン商業大臣もその点を強調されておりました。幅広い分野で日本の政府と民間が手を合わせて、ミャンマーがより良い形で経済発展を果たせるように協力できれば嬉しい限りです。今後のご活躍を期待しております。

ミャンマーにも友好議連が発足
日本・ミャンマー友好議員連盟は、訪緬のたびテイン・セイン大統領やシュエ・マン下院議長と会談を行っている。2014 年1月の訪問に合わせ、ミャンマーの国会議員でつくるミャンマー・日本友好議員連盟が発足。ネピドーで日緬の友好議連が合同で総会を開いた。今後毎年、両国の議連による合同総会を開く予定だ。
ミャンマーの政財界には、日本留学経験者や日本について詳しい人も多い。国会議員同士の交流は、日緬の太いパイプのひとつとして、両国関係の礎になることが期待される。

MYANMAR JAPON CO., LTD. 代表
MYANMAR JAPON および英字情報誌MYANMAR JAPON+ plus 発行人。ミャンマービジネスジャーナリストとして、ビジネス・経済分野から文化、芸術まで政府閣僚や官公庁公表資料、独自取材による多彩な情報を多視点で俯瞰、マーケティング・リサーチやビジネスマッチング、ミャンマー法人設立など幅広くミャンマービジネスの進出支援、投資アドバイスを務める。ヤンゴン和僑会代表、一般社団法人日本ミャンマー友好協会副会長、公益社団法人日本ニュービジネス協議会連合会特別委員。