スー・チー氏直属の国家顧問府で職務にあたる
永杉 本日はミャンマー連邦共和国の外交官である、アウン・ソー・モーさんにお話をうかがいます。モーさんは2018年、駐日ミャンマー大使館に一等書記官として赴任し、職務にあたってきました。しかし、2021年のクーデター後、CDM(市民不服従運動)に参加を表明し、大使館を離れる決断をされた方です。まず、一等書記官として日本に赴任するまでの経緯を教えてください。
モー ヤンゴン大学で国際関係論を学んだ後、1993年にミャンマー外務省に入省しました。日本に赴任する以前は、ブラジル、スリランカ、ベトナムのミャンマー大使館で外交官として働いていました。また、NLD政権樹立後は外務省から出向という形で、国家顧問府でも仕事をしておりました。
永杉 国家顧問府は、アウン・サン・スー・チー氏が国家顧問に就任するにあたって設立された機関ですね。
モー はい。国家顧問府は、設立にあたって新たな人員を広く採用するのではなく、各省庁から経験のある職員を選出して出向させるという形態をとっていました。外務省からは、私を含めて20名ほどの職員が選ばれて同府に出向することになりました。
永杉 当時の国家顧問府は、いわばスー・チーさん直属の機関であり、極めて重要な組織であったと認識しています。そこに出向する職員20名のうちの一人に選ばれたということは、モーさんが外交官としてNLD政権からいかに期待されていたかがわかります。
そして2018年、駐日ミャンマー大使館に一等書記官として赴任することになりました。当時の日本の印象はいかがでしたか。
モー 子どもの頃から日本の映画が好きで、作品を通じて触れた日本の文化に好印象を抱いていました。外交官として派遣される国は自分で選べるわけではなく、職務上の命令があればどこの国にも赴きます。しかし、入省当時から内心では日本に赴任できればいいなという思いを抱いていました。数か国の赴任地を経て、日本に行くことが決まったときはうれしかったですね。来日してからも、映画などで培った日本のよいイメージは崩れることなく職務にあたっていました。