今月のKEY PERSON

<2019年5月号>一般社団法人ミャンマー祭り 代表理事 関口 照生 氏

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今年も東京で開催されるミャンマー祭り。主催団体の代表理事を務めるのが、写真家としても有名な関口氏。ミャンマーとのかかわりとは? 
なぜ支援をしているのか? 今後の展望も含めて話を聞いた。

ミャンマー祭りの代表理事 リアルなミャンマーを伝えたい

ヨーロッパで途中帰国
資金を調達し、再挑戦

 日本とミャンマーの文化・経済交流振興および寺子屋建設支援を目的とし、2013年より東京の増上寺で開催されている「ミャンマー祭り」。昨年は約6万5000人の来場者を集め、年々注目度も上昇、今年は観光ビザの廃止も追い風となったことでさらなる活況が予想されている。同イベントを運営する団体が「一般社団法人 ミャンマー祭り」であり、その代表理事を務めるのが、写真家としても有名な関口照生氏。

 舞台美術からキャリアを開始した関口氏は、その後写真の勉強を始め、駆け出しの頃は広告の仕事を主にこなしていた。先日亡くなった元日本旅行作家協会名誉会長の兼高かおる氏との仕事をきっかけに、当時の師であった民俗写真家・芳賀日出男氏のすすめもあり、東京オリンピック開催の翌年、1965年にヨーロッパに向かった。

 横浜からロシアのナホトカ港へ航路で渡り、シベリア鉄道でハバロフスクへ。軍事施設が多かった当時のソビエト連邦では鉄道での移動が不可能で、モスクワを経由し、空路でスウェーデン入り、そこから南下してようやくヨーロッパの旅がスタートした。しかし、半年ほどで旅は突然終わりを迎える。理由は資金が尽きたことと、母親の体調不良。関口氏は「ただ、その旅が私の人生の転機だったことは間違いないです。本当はもっと長く滞在したかったのですが、やむなく日本に戻りました」と振り返る。

 途中帰国という悔しさもあり、日本に戻ってもヨーロッパへの思いを募らせた関口氏。しかし、旅費を使い果たしていたため、改めて資金を調達しなければならず、当時、欧州の情報や写真を必要としていたアパレル企業や設計事務所に資料の提供を打診。旅費のサポートを条件に資金を集め、再び欧州に向かった。しかし、当時は1ドル=360円の固定相場制で、現金の持ち出しも500ドルまでの制限付きなど、苦労は絶えず、27歳から30歳まで欧州と日本を往復する生活が続いた。

笑顔が増えれば国はよくなる
周知のためにイベントを開催

 帰国後は広告撮影を中心にフリーのフォトグラファーとして活動を続けた関口氏。1980年代に入ると、有名女優の写真集なども手掛け、名取裕子写真集『序の舞い』(1984年)やかたせ梨乃写真集『DAY FOR NIGHT』(1988年)など次々と大きな案件が増えるようになり、写真家としての地位を確立していった。

 テレビの仕事が舞い込むようになったのもこの時期で、世界の辺境を訪ねる番組でのナビゲーターをきっかけに変化が訪れる。ライフワークとして世界各地の取材を続け、2007年には作品展「地球の笑顔」を開催。世界各地の決して豊かとはいえない地域で生活する人々の日常や文化を切り取った作品は、現実の厳しさだけではなく、生きる喜びが“笑顔”を通じて感じることができるという。「笑顔が一つでも増えれば、その国はよくなる」と関口氏は胸を張る。

 ミャンマーとのかかわりは2005年から。貧困などの理由からワクチンが足りない地域をサポートする「世界の子どもにワクチンを 日本委員会」(Japan Committee Vaccines forthe World's Children)で、“ワクチン大使”を務めていたのが、夫人であり、女優の竹下景子氏。05年に夫婦で訪緬したのがきっかけとなり、翌年には旧知の仲だった安倍昭恵首相夫人とミャンマーを訪れ、昭恵夫人が行う寺子屋支援のため、ヤンゴンやマンダレーなどの貧困地域を巡り、06年設立のNPO法人メコン総合研究所に理事として参画。その後、前述した通り、昭恵夫人が発起人の一般社団法人ミャンマー祭りの代表理事に就任。2013年に「ミャンマーの知名度が低ければ、支援を集めることなど不可能」として、広く世間に周知するため、ミャンマー祭りの開催を実現させた。今年で6回目を数える同イベントは、5月25日~26日、昨年と同じ増上寺で行われ、毎年恒例の「日本・ミャンマー交流写真展」では審査委員長を務める。

 今後はミャンマー祭りの持続可能な運営を目指し、さらなる交流を深めたいと語る関口氏。最後に「若者同士の交流の在り方を含めて考えていくべき。経済支援、教育支援の2つを柱とし、ミャンマー祭りを通じて推し進めていきたい」と締めくくった。

▲「ミャンマー祭り2018」では、増上寺で関係者による法要が営まれた。今年は5月25日~26日に開催され、昨年以上の来場者が見込まれる

関口 照生 [Sekiguchi Teruo]

Profile
東京生まれ。写真家、倉敷芸術科学大学客員教授。広告や雑誌・写真集を中心にフリーの写真家として活動開始。世界の辺境を訪ねるTV番組の出演をきっかけに、中国の少数民族や南米などで暮らす人々の取材を続けてきた。日本写真家協会(J,P,S)会員、ミャンマー祭りの代表理事のほか政府の諮問委員も務める。