【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

ファッション・デザイナー/国連UNHCR協会広報委員 渋谷ザニー氏

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今回のテーマ 社会支援活動にも積極的なファッション・デザイナー

渋谷ザニー [Shibuya Źarny]

1985年ヤンゴン生まれ。93年に家族とともに日本に亡命。2007年亜細亜大学国際関係学部国際関係学科卒業。11年ファッション・ブランド「ZARNY」を創設。12年日本国籍取得。自身のブランドでは映画や舞台衣装から企業・スポーツユニフォーム、皇室や内閣総理大臣夫妻の衣装デザインまで幅広く手掛けている。また、国連UNHCR協会広報委員のほか、クーデター後のミャンマー国民を支援する「フル・ムーン基金」の代表を務めるなど人道支援活動にも力を入れる。

現在起きていることは政治問題ではなく人道問題
今もミャンマーとの関わりを続ける日本人こそ希望

偶然目にした深夜番組で
抑留を生き抜く姿に共感

永杉 今回はファッション・デザイナーの渋谷ザニーさんにお話をうかがいます。ザニーさんはミャンマー出身で、8歳の頃にご両親とともにヤンゴンから日本に渡り、大学卒業後ファッションブランドを設立された経歴を持っています。また、難民問題を扱う国連UNHCR協会の広報委員も務めるなど、社会貢献活動も積極的に行っています。まず、来日から現在に至る経緯を教えてください。

ザニー 両親は日本の文化や民主主義にとても強い憧れを抱いていたと聞いています。父が1989年に来日し、93年に私も日本に渡りました。当時、留学や亡命などで日本に住むミャンマー人はいましたが、子どもは自分だけだったそうです。その頃からアートやファッションに対する関心が高い子どもでした。官庁が主催する絵画コンテストで賞をもらうなどの評価を受けていたこともあり、デザインの学校に進もうとしたのですが、大学に行ってほしいという父の希望を受けて進学を決意しました。そのような中、テレビ番組で『平成日本のよふけ』という番組があり、瀬島龍三さんが出演されているのを目にしたんです。

永杉 元陸軍中佐で、戦後は伊藤忠商事の会長や亜細亜大学の理事長などを務められた方ですね。

ザニー はい。そして、瀬島さんはシベリアで11年間抑留されています。非常に厳しい環境の中、日本の地をもう一度踏むんだという決意を捨てずに生きた姿が、自分たち家族と重なって見えて大きな感銘を受けました。そこで瀬島さんのことを調べ、亜細亜大学のことを知り、進学を決意したのです。
 実はこの『平成日本のよふけ』という番組は、ワタナベエンターテインメントの吉田正樹会長がプロデューサーを務めていた番組なのです。そのようなご縁もあり私もこの事務所に所属することになったのですが、あの番組は人生における大きな分岐路だったと思います。

世界的な活躍を続けるも
母国への進出を控えた理由

永杉 難民問題を扱う国連UNHCR協会の広報委員を務められていますが、10代の頃から関わりがあったそうですね。

ザニー 17歳位から難民のイメージ改善に関する活動をしていました。難民というと、どうしても「かわいそう」とか「貧困」みたいな言葉が付きまといます。私はそこで常に「難民は敗者ですか?」と問いかけ続けました。私はそう思っていません。難民は困難から逃れたサバイバーなんです。決して憐れみの目で見られる存在ではないんだということを訴え続けました。
 ただ、難民としてではなく、自分自身の個性やファッションを認めてもらいたくて、大学時代にこの活動は一時中断しました。この種の問題に対して再度声を上げ始めたのは、2007年のサフラン革命のときです。報道されるミャンマーの状況を見て、改めて自分のルーツと向き合おうと思ったのです。

永杉 その後設立したブランドは、映画やドラマへの衣装提供、スポーツユニフォームのデザインのほか、皇室や内閣総理大臣ご夫妻の衣装をデザインするなど華々しい成果をあげました。また、上海、パリ、ニューヨークでも展開し、タイ王室にも衣装を提供するなど国内外で大きな評価を受けています。ただ、ミャンマーでは民主化後も大規模なビジネスは展開しなかったのですね。

ザニー 正直なところ、民主化が継続することに対して懐疑的な目を持っていました。軍政時代の利権を維持したがっている特権階級が予想以上に多いと感じていたのです。JICAのプロジェクトに賛同し、カイン州などで魅力的なお土産品を開発するワークショップを開く活動はしていましたが、少なくとも民主化後5年は様子を見て、その後も情勢が安定し続けるようならば正式に進出しようと考えていたんです。そんな矢先のクーデターでした。

今も残る日本人に感謝
今後も向き合ってほしい

永杉 クーデター後に「フル・ムーン基金」を設立し、ミャンマー国民を支援する活動を行っています。

ザニー クーデターが起こった直後は、ミャンマーからの電話が鳴り止みませんでした。JICAのプロジェクトを通して出会った地方の仏教僧やカトリックの神父からのSOSです。とにかく何かをしなければと考え、基金を設立し主に国内避難民への支援を継続して行っています。

永杉 デザイナーをしながら、こうした活動を続けるのは大変な苦労があると思います。

ザニー スタッフも抱えていますし、ためらいがないわけではありません。「政治的な活動は控えてほしい」という意見をいただくこともあります。ただ、これはもはや政治問題ではないんです。人道問題にまで発展していると認識しています。私は武士道の精神で、この問題に毅然と対応していきたいと考えています。

永杉 しかし、残念ながら情勢は混迷を極めています。ミャンマーの将来に希望を見出すとしたらどのようなことが挙げられますか。

ザニー 私はこのような状況になってもミャンマーと関わりを持ってくれる日本人から大きな希望を受け取っています。先日、ANAの重役の方とお会いしたのですが、とっさに出てきた言葉が「ありがとう」だったのです。色々と厳しい環境の中、救援便とはいえ運航を維持してミャンマーとのつながりを断たないでくれることに感謝の念しかありませんでした。こうした大企業の話だけではなく、ミャンマーには今も多くの日本人が残って生活しています。どんな状況にあろうとも、国民レベルでの交流が続いていることは、将来への大きな希望だと認識しています。

永杉 現在は1,000人にも満たないと言われるミャンマー在住の日本人も、きっとこの記事を読んでくれていると思います。そして、当地から離れざるを得なかった人も、それぞれの形でミャンマーとの関わりを継続することが今後の大きな希望につながるのだと思います。本日はお忙しい中ありがとうございました。

永杉 豊 [Nagasugi Yutaka]

MYANMAR JAPON CO., LTD. CEO
MJIホールディングス代表取締役

学生時代に起業、その後ロサンゼルス、上海、ヤンゴンに移住し現地法人を設立。2013年からミャンマー在住。月刊日本語情報誌「MYANMAR JAPON」を発行、ニュースサイト「MYANMAR JAPONオンライン」を運営、各メディアの統括編集長を務める。(一社)日本ミャンマー友好協会副会長、(公社)日本ニュービジネス協議会連合会特別委員、UMFCCI(ミャンマー商工会議所連盟)、ヤンゴンロータリークラブ所属。著書に『ミャンマー危機 選択を迫られる日本』(扶桑社)など。