【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!
MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。
ミャンマー国民統一政府駐日代表 ソー・バ・ラ・ティン氏
今回のテーマ ミャンマーの民主化を推進するNUG駐日代表
ソー・バ・ラ・ティン [Saw Ba Hla Thein]
ミャンマー国民統一政府(NUG)駐日代表
1969年生まれ。ミャンマー少数民族カレン族。高校生だった1988年に初めてデモに参加。90年に仲間が相次いで軍事政権に拘束されたことからタイ国境へ逃亡し、難民キャンプで暮らし始める。92年に来日して働き始め、2006年に難民認定。在日カレン民族連盟(KNL)の幹部のほか、NPO法人PEACE(ミャンマー少数民族支援団体)の副理事長として活動する。2022年2月からミャンマー国民統一政府駐日代表に就任。
国民の9割が支持するNUG
各国に支部を広げ活動を拡大
永杉 本日は国民統一政府(NUG)の駐日代表であるソー・バ・ラ・ティン(以下「ソー」)さんにお話しをうかがいます。ソーさんは少数民族カレン族の方で、88年の民主化運動に参加。国軍の弾圧から逃れるため、92年に来日し、2006年に難民として認定されました。在日カレン民族連盟(KNL)の幹部として活動されているほか、NPO法人PEACE(ミャンマー少数民族支援団体)の副理事長として、カレン族の権利保護や在日ミャンマー難民のサポートなど幅広い分野で活動されています。そして今年2月、NUG駐日代表に就任されました。改めてNUGについて教えてください。
ソー 2020年の総選挙において、アウン・サン・スー・チー氏が率いるNLDが勝利しました。しかし21年2月1日、国軍は選挙結果を認めずに軍事クーデターを起こして国政を掌握し、NLD党員を多数拘束しました。これを受けて同年2月5日、拘束を免れたNLDメンバーによって結成されたのが連邦議会代表委員会(CRPH)です。正当な選挙の結果としてミャンマー国民に選ばれた議員で構成されているため、国民を代表する組織と言えるでしょう。
一方、CRPHの組織形態は議員連盟にあたります。国軍の不当な支配から国政を取り戻すためには、政府組織として活動する必要がありました。そこで同年4月16日、いまだに拘束が続くアウン・サン・スー・チー国家顧問、ウィン・ミン大統領などを含むメンバーで新たに結成されたのが国民統一政府(NUG)です。
NUGには、少数民族の代表も参加していることが大きな特徴です。各民族がともに手を取り合う連邦制民主主義を実現させることが最大の目的といえます。こうした理念に賛同し、国民の90%以上がNUGを支持しています。
永杉 少数民族の声をしっかり聞くという姿勢は、カレン族であるソーさんが駐日代表に就任したという人事にも現れていると考えます。代表就任までの経緯を教えてください。
ソー NUGは2021年、各国に代表事務所を設置する方針を定め、同年10月に駐日代表事務所の設置が決定しました。日本は世界で6番目の設置です。
日本には民主化支援などを目的としたミャンマー人団体が50ほど存在します。そのうち30はクーデター後に設立された新しい団体です。これら団体の幹部がNUG駐日代表の候補に挙がったのですが、やはり団体が異なれば考え方も少しずつ違います。後々軋轢が生じないように入念な話し合いが行われた結果、本国のNUGや在日ミャンマー人に加え、日本政府とのネットワークを広く有している人物ということで私が選任されました。
永杉 クーデターから1年3ヵ月経ちました。改めて今現在、ミャンマーがどのような状況におかれているかを教えてください。
ソー ミャンマー情勢は落ち着きを取り戻しつつあるという見方をする方もいるようですが、大きな誤解です。それどころか、日に日に悪化しているのが現状です。地方では国軍による空爆が行われて村が壊滅し、多くの死者が出るという痛ましい出来事も起きています。こうした攻撃から逃れるために国内避難民は今も増え続けており、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の発表によると100万人近くの人々が避難を強いられています。
また、民主派への弾圧は熾烈さを増し、兵士や警察隊がいきなり自宅へ押しかけてきて逮捕されるという事例は後を断ちません。その結果、死刑判決を受けた人は現時点で59名にものぼります。
さらに許しがたいこととして、彼らは潜伏している民主派をあぶり出すために、子どもを拉致するのです。つまり「子どもを返してほしければ出頭しろ」というわけです。先日も民主化運動をしている方の3歳のお子さんが人質になりました。
現実は映画の描写よりも残酷
非人道的行為を繰り返す理由は
永杉 2008年に公開された『ランボー/最後の戦場』という映画があります。まさにソーさんの故郷であるカレン州が舞台の作品ですが、この映画はご存知ですか。
ソー ええ。あの映画は実際にカレン州で撮影をしたのです。ロケーションコーディネートをした人は私の知り合いです。
永杉 そうでしたか。あの映画の中では国軍によるカレン族への残虐行為が描写されていました。私はあの映画をあくまでもフィクションとして鑑賞しましたが、昨今の国軍の暴挙を見ていると、映画のようなことが実際に起きていたと認識してしまいます。
ソー それどころか、映画では表現を抑えています。実際にはあれ以上の残虐行為がミャンマー国軍によって行われたのです。ご主人の前で奥さん、両親の前で娘を強姦したり、杵で撲殺されたりといった耳を覆いたくなるような話が多数報告されています。
永杉 国軍は一体なぜ、そこまで非人道的な行為を繰り返すのでしょうか。
ソー 国軍司令部が「少数民族武装勢力の地域ならば何をやっても罪には問わない」と兵士たちを煽っていたことが明らかになっています。少数民族を殲滅するためなら何をしても構わないという集団になり、歯止めがかからない状態になったと考えられます。
NUGが目指すのは少数民族と手を取り合う連邦制民主主義
永杉 ミャンマー国軍と少数民族との間には、独立以来続く大きな隔たりがあります。ソーさん自身も、カレン族の権利を守るための運動を長年続けてこられました。これについて教えてください。
ソー カレンには民族の自治権拡大や不当な差別撤廃を求めることを目的とした組織が存在します。アウン・サン・スー・チー国家顧問のお父上であるアウンサン将軍がご存命の頃は、少数民族に対する差別はなく、平等な連邦国家への歩みを進めていました。しかし、暗殺以後、各民族への差別が起こるようになったのです。
永杉 具体的にどのような差別があったのでしょうか。
ソー もっとも許しがたいことは文化的弾圧です。かつてヤンゴン市内には、北部のインセイン周辺などにカレン族が集住する地域がありました。そこにはカレン族の言語や文化を教える学校もありましたが、ある時、国軍により強制的に閉鎖させられたのです。隠れて言語や文化を教えていることが発覚すれば拘束されるようになりました。
これに対して、少数民族組織は平和的なデモを行ったり対話の道を探ったりしました。しかし、国軍はそれを聞き入れることなく、暴力による支配を強めてきたのです。それにより、自らの身を守るために武装する少数民族も現れるようになりました。このような差別を受けていたのは、カレン族だけではありません。シャン族などの民族も同じような目に遭い、国軍への対抗組織が作られるようになったのです。
民主派の家族に及ぶ危険
日本は毅然とした対応を
永杉 そのような経緯があり設立された各地の少数民族武装勢力(EAO:E thnic Armed Organizations)は、国軍との対立を深めていきます。国軍はEAOを「ミャンマーを分断させる悪の集団である」と喧伝し続けてきました。しかし、今回のクーデターにより、彼らがこれまで少数民族に対して行ってきたことが改めて白日のもとに晒されました。
ソー 国軍による横暴はクーデター以前から続いてきたことです。しかし、以前とは明らかに異なる点が2つあります。
1つ目は、攻撃対象が広がったこと。これまで国軍が残虐行為を働く対象は少数民族中心でした。しかし、今は多数派民族のビルマ族に対しても残虐行為が広がっています。
2つ目は、家族に危険が及ぶようになったことです。88年の民主化運動の際は、若者がデモに参加したことが発覚しても、家族の命にまで危険が及ぶケースは多くありませんでした。もちろん、厳しい取り調べを受けることはあったようですが、命までは取られませんでした。しかし、今は違います。家族内に民主化運動に参加したものがいれば、家族全員の命まで危なくなるという事例が見られるようになったのです。
永杉 ところで、「NUG」や「PDF」について日本語訳では様々な表記があります。今後具体的にどのように記載して欲しい等のご要望はありますか。また、日本政府や日本人に対して訴えたいことはありますか。
ソー まず、表記ですが「NUG」は国民統一政府、「PDF」は市民防衛隊として記載していただければありがたいです。国軍は多くの政治家や学生などを弾圧・虐殺して、自分たちの考えに賛同する者のみを集めた独裁国家を作ろうとしています。日本政府や日本国民がそのような集団を認めてしまったら取り返しのつかないことになるでしょう。断固として国軍を認めない姿勢を貫いていただきたいと思います。一方、我々NUGは民主的な手続きに則ってミャンマー国民に選ばれた政府です。日本政府には我々との連携をより深めていただき、民主化への歩みを後押ししていただきたいと考えています。
正直に申し上げて、日本のミャンマーへの対応については大変残念に思うこともあります。メディアでも報じられた通り、日本政府はクーデター以前から続くミャンマー国軍の留学生受け入れを今も継続しているのです。今年も防衛大学校は国軍の幹部候補生を4人受け入れました。在日ミャンマー人はこの決定に対して強い反対の声を上げましたが、聞き入れられなかったことは大変悲しく思っています。
日本政府には、これまでの国軍との関係を一度白紙に戻し、経済制裁も含めた厳しい対応をとっていただきたいと考えています。
日本政府はミャンマー国軍とのつながりをゼロから見直すべき
永杉 欧米並の経済制裁が行われていないことや、市民の虐殺を続ける国軍の留学生受け入れなどは、在日ミャンマー人にとっては受け入れがたいことだと理解できます。対話を基本にする日本の外交姿勢について一定の評価はできますが、情勢が膠着した今、もう少し厳しい対処が必要なのかもしれません。本日はお忙しい中、誠にありがとうございました。
永杉 豊 [Nagasugi Yutaka]
MJIホールディングス代表取締役
NPO法人ミャンマー国際支援機構代表理事
学生時代に起業、その後ロサンゼルス、上海、ヤンゴンに移住し現地法人を設立。2013年6月より日本及びミャンマーで情報誌「MYANMAR JAPON」を発行、ミャンマーニュースサイト「MYANMAR JAPONオンライン」とともに両メディアの統括編集長も務める。(一社)日本ミャンマー友好協会副会長、(公社)日本ニュービジネス協議会連合会特別委員、UMFCCI(ミャンマー商工会議所連盟)、ヤンゴンロータリークラブに所属。近著に『ミャンマー危機 選択を迫られる日本』(扶桑社)。