親日ミャンマー人が現地で経験した2度目のクーデター

(19)8888運動とは違う9つの現状
(本稿は2021年2月執筆です)

 1988年の反対運動の原動力は、経済破綻に寄るものであり、日常生活の苦難から起こったものだった。

 1962年のクーデターによってミャンマーは分裂、華僑、印僑型経済圏の脱却という実情を背景に国軍は民主主義を放棄し、1974年にはビルマ社会主義連邦憲法を制定、軍事政権の独裁を続けた。それは中国でもソ連でもない、独自の社会主義であり、案の定政治体制は機能せず、政治家はほとんどが軍人。食料も配給制になるなど経済は疲弊し、通貨は下落、何度も廃貨を行った。そうした背景によって、国民は社会主義からの脱却を目指し、88年に反対運動を行ったという経緯がある。

 最初は些細な揉めごとだったが、徐々にエスカレートしていき、学生を中心としたデモ活動が始まった。非暴力の民衆に対し軍政は治安部隊を投入し鎮圧にかかったが、民衆は屈することなく、CDMの成果もあって行政が麻痺。大統領は2~3か月で3人も変わり、一時は無政府状態にもなった。その後、軍政は工作員や刑務所からの受刑者をデモ隊に忍び込ませ、あたかも我々が暴動の犯人のように悪人に仕立て上げた。

 当時はスマホなどもなかったため、連絡手段はデモ隊のリーダーたちの指示を印刷して配り、BBCなどの外国のラジオも利用した。逮捕・拘束の恐れのあるリーダーたちは地下に潜って活動していた。

 そして、デモ活動が最高潮に達したとき、国軍は軍隊を本格的に投入し、非人道的に射殺、連行、拷問を行った。正確な死亡者数は発表されていないが、少なくとも3~4,000人はいただろう。国境に避難した人も何万人といた。

 その後、1990年の総選挙でNLDと民族政党は圧勝したものの軍事政権は選挙結果をひっくり返し、民主化勢力の弾圧を強化。これに対して、当選議員らは暫定政府を立ち上げたものの皆投獄されてしまった。市民が待ち望んでいた民主主義は白紙となり、22年間も待たされ、2010年に憲法が制定されたかと思えば、議席の4分の1を軍人が占めることに。それはクーデターを二度と起こさないために制定した憲法のはずだった。

 先日の22222運動は、過去とは違った状況で行われた。民政移管してから10年が経ち、民主主義が軌道に乗りかける直前のタイミングで起きたミン・アウン・フライン国軍司令官の個人的な命令がきっかけだった。彼は後継者を自由に選ぶことができ、2~3年前から地方の軍幹部の人事を刷新、自らの地盤強化に努めていた。軍事費は日本円で約2,000億円以上に相当するが、これも彼の裁量で決めることができ、当然私腹を肥やすことも可能。彼の家族の資産は数百億円とも言われ、部下からは批判の声もあがっている。総選挙不正の論拠ともなっている有権者名簿の不備というのは単なる言いがかりに過ぎず、NLDの解党が目的であることは間違いない。理想はタイの軍事政権なのかもしれないが、単なるコピーであり、現実は程遠い。

 民衆にとってみれば、今回のクーデターには正当性のかけらもない。ミャンマー人の信念でもある正義を取り戻す戦いであり、我々は過去から学び、教訓を生かさなければならないだろう。

 まずは全国的に広がっているデモ活動。報道によれば、全国で260箇所で市民が参加し、それはミャンマー全土の人口の2~30%にも及ぶという。次に市民不服従運動(CDM)では軍評議会があるネピドー以外では大きな成果をあげている。軍政が発令した命令には従わない、軍関係企業の製品不買運動、納税拒否といったことだ。そして最後に総選挙の当選者による新たな議会の開始。これはすでに国内外でも支持されており、ミャンマー国連大使も市民側に立ってくれている。現在、民衆は軍評議会よりも優位なポジションであると信じている。

前回と今回のクーデターの違う点を挙げると、

①前回は社会主義反対運動だが、今回は正義を取り戻すための運動。
②前回はデモ運動が起きてからのクーデターだが、今回はクーデターが起こってからのデモ運動。
③前回は選挙への期待感も潰えたが、今回は軍政から政治を取り戻すためであり、長期化する。
④前回は軍政下でのCDMが失敗したが、今回はCDMが奏功している。
⑤前回はNLDによる暫定政権が失敗したが、今回は連邦議会代表委員会に対して国内外からの支持がある。
⑥前回は国内外に圧力がなかったが、今回は国内の少数民族武装勢力と軍政に対する海外からの非難がある。
⑦前回は国内情勢を情報発信できなかったが、今回はSNSがあり、情報発信をオンタイムで行える。
⑧前回は市民のリーダーに従っていたが、今回は信念に従っての皆がリーダーとして行動している。
⑨前回はX世代による正面突破だったが、今回はZ世代による効果的な戦略がある。

 革命が成功するには忍耐強く、皆の力を合わせなければならない。日本の皆様もミャンマーのために可能な限り参加してほしいし、見守ってもらいたい。

(続く)

Bandee
1965年、ヤンゴン市生まれ。88年、ヤンゴン大学在学中に8888民主化運動に参加。91年に日本に留学し、語学を学ぶ。2004年にミャンマーに帰国後、ボランティアの日本語講師となる。現在は主に人材派遣の育成プログラムを作成し、教育事業を行っている