親日ミャンマー人が現地で経験した2度目のクーデター

(15)長期化も予想される籠城戦 vs 兵糧攻め
(本稿は2021年2月執筆です)

 クーデターから19日目となったが、依然として戦いは続いている。いつまで戦うのか? ミャンマー人の執念深さはどこからきているのか? 民主主義のため? 正義のため? アウン・サン・スー・チー氏への敬愛? 日本人の方はいろいろと思うだろう。

 ミャンマーのことを考察すればするほど、その歴史、内容は深く、日本の方に伝わるか不安だが私なりに解説したい。まずは独立以前から考える必要がある。イギリスの植民地となっていた頃は国軍どころか組織団体を設立するだけで反逆罪とされ、最悪処刑されたケースもあった。しかし、それでもミャンマー人は愛国心を持ち、抵抗を続けた。

 ミャンマー人は戦闘民族と言われても否定できないほど、この国には戦いの歴史があり、戦争に対して血が騒ぐ人種だと思っている。戦前、アウン・サン将軍は、武力蜂起による国家独立を目指し、日本軍の支援を受けて軍隊を作った。それゆえに今の国軍は、日本軍の遺産とも言い換えられる。

 国軍の組織自体に問題があるとは思ってはいないが、人材育成のシステムに大きな問題があると考えている。ミャンマーは独立後、国軍の育成はイギリス留学を経験した教授などによって任され、当時はスマートな人材が育っていった。彼らは民主主義の影響を受けることで知識を深めていったのだが、1962年、ネ・ウィン将軍のクーデターによってすべてが変わってしまう。国軍は国防のために存在するのではなく、政治の世界にも干渉する機関として、その姿を変貌させた。

 軍関係者が行政に参加することで国も一変することとなった。ひょっとしたら戦時中の日本とも似ているのかもしれない。軍が市民の生活にまで干渉し始め、ときには脅威にもなり、しかも彼らは自分の利益のみを追求するという有様。もしそうした権益を侵そうとすれば、敵視され、潰されるということがまかり通る現在と同じ仕組みを構築していった。

 だからこそ8888運動の時に、軍関係者はアウン・サン・スー・チー氏を恐れた。彼女の性格、信念を貫く頑固さが軍にとっては恐怖そのものであり、国民の支持が追い風となれば、国軍にとっては命取りになりかねない。それを十分理解していた国軍は、軍の教育施設で反アウン・サン・スー・チー氏への洗脳教育を徹底してきた。しかし、民主化以降、アウン・サン・スー・チー氏は国家の代表となっても国軍に対しては忍耐強く我慢を続け、国民もそんな彼女の政策方針を理解し、支持してきたという経緯がある。

 今回の軍のクーデターは国民の我慢の限界を超えたものであり、今や国軍を排除しなければならないという強い信念に基づいた革命運動となっている。日本の方がイメージする街頭デモのような平和なものではなく、もっと根深い反乱だと言っていい。Y世代(ミレニアル世代)とZ世代が共闘することで実現可能な国軍終焉のための戦いであり、そのための知恵が不可欠となっている。ネピドーという強固な牙城に対し、国民は知恵による兵糧攻めを仕掛けた。CDMという戦略であり、長期化も視野に入れている。

 在緬日本人の皆様もミャンマーの歴史の1ページに参加することになる。気をつけながら見守っていてほしい。

(続く)

Bandee
1965年、ヤンゴン市生まれ。88年、ヤンゴン大学在学中に8888民主化運動に参加。91年に日本に留学し、語学を学ぶ。2004年にミャンマーに帰国後、ボランティアの日本語講師となる。現在は主に人材派遣の育成プログラムを作成し、教育事業を行っている