親日ミャンマー人が現地で経験した2度目のクーデター

第3回「なぜミャンマー国軍は強いのか?」

日本人の皆様が一番知りたいことだと思うし、多くのミャンマー人も知りたがっているはず。諸説あるが、私なりに解釈すると以下の5つだと考えている。

1.国が独立した時から軍が関わっていた
 アウン・サン将軍は30人の仲間と日本軍から訓練を受け、ミャンマーを独立させた。当時の軍人達は愛国心があり、必死になって国のために戦った。当時の軍は国民を守り、国を創り上げるために一生懸命努力していたと聞いている。国民からは称賛され、国民は軍を絶対的に支持。独立する前にアウン・サン将軍は暗殺されたが、建国の父として敬愛され、小学校の教室にはアウン・サン将軍の軍服の写真が飾られ、毎日御礼をする習慣あったほどだ。北朝鮮の指導者の様に洗脳されるわけではないが、私達の心にはアウン・サン将軍の軍服姿はカッコ良く写り、軍に対してある種の憧れを抱いている。

アウン・サン将軍

2.社会主義国家の建国に軍が関わったこと
 アウン・サン将軍がミャンマーを独立させるため、地方の少数民族と急ぎ和解する必要があり、条件付きでピンロン条約を締結した。そこには1年以内にミャンマーを独立させること、もし10年経てば自分らと別々の道を歩んでも良い、と書かれていたようだ。独立した1948年からちょうど10年目の1958年に少数民族との提携がなくなり、民主政権も派閥間の闘争で弱体化、行政が地方まで維持できなくなった。
 当時の国軍司令官のネ・ウィン将軍は実権を掌握し、ある程度少数民族の武装勢力を抑えることもでき、中国共産党との侵略戦争も退けることでビルマ式社会主義を誕生させた。ただし、軍の出身者らを政権に参加させ、権力の基盤を作ったのが後に大きな問題となる。官僚のほとんどは軍の天下りで、国の一部として根付くことになった。

3.1988年の軍政の誕生と自信
 ビルマ式社会主義の失敗により国は破綻、軍による2度目のクーデターが1988年に起こった。前回の“ノウハウ”もあり、武力行使による制圧、工作、反対政党の解体も徹底的に行われた。その結果、22年間の軍政が続くことになる。自由に操れる憲法を制定、それは彼らの自信となり、2010年まで権力を維持しようやく民政化に至った。1948年の独立から最初の民主主義の10年間を除けば、2010年まで軍が政治や経済を握ってきたのだ。軍による統治年数は、実に58年にも上り、ミャンマーは軍によって支配されていた歴史を持つ。

4.多民族国家ミャンマーの背景
ミャンマーは多民族で構成され、課題は山積している。少数民族の不満が向かった先が独立であり、そのため武力行使する少数民族武装勢力と国軍の紛争が絶えない。ミャンマー全体が分裂する恐れもあり、それを抑えるために軍の権力維持が必要になった。135もいる多民族国家の統一は厳しいと思う。しかし、現在は少数民族同士の紛争はなく、国軍への抵抗となっているが、一方でそれが国軍の団結力の強化と戦力増強につながり、強固な組織となっている。

5.一般市民の国民性
 ミャンマー人の7割は上座部仏教徒で、心は優しく楽観的かつ穏やかな性格が多い。一方で社会性が低く、自由奔放な性格もある。それに加え、軍事政権下の教育レベルの低さに慣れ、物事を理論的に判断する能力が低いと思う。もちろん個人差はあるが、社会的環境の不備から全土に浸透しているとは言い難い。また、周辺地域への警戒心が強く、民族同士の争いも残っている。一つにまとまっていないという現実は、軍にとって有利な状況といえるだろう。

 あくまでもこれらは私の個人的な解釈に過ぎないが、過去の経験から軍の強さは理解している。今回のクーデターは今までとはまったく違い、一人の野心家のリーダーによる決断だった。とにかく軍に勝つため、今まで以上に市民が団結しない限り、乗り越えられないと感じている。しかし、ミャンマー市民の心が一つにまとまれば勝てるに違いない。

 今回のクーデターで、ミャンマー人のDNAでもある反骨精神が目覚め、各地で団結できれば、絶対に民衆が勝利すると確信している。そのためにも日本人の皆様はぜひ見守ってほしい。

(続く)

Bandee
1965年、ヤンゴン市生まれ。88年、ヤンゴン大学在学中に8888民主化運動に参加。91年に日本に留学し、語学を学ぶ。2004年にミャンマーに帰国後、ボランティアの日本語講師となる。現在は主に人材派遣の育成プログラムを作成し、教育事業を行っている