親日ミャンマー人が現地で経験した2度目のクーデター

第7回「軍事政権への反対運動」

 クーデターが起きてから9日目。軍部に抗議する夜の鍋叩きはすぐに開始されたが、路上の抗議デモが開始するには少し時間がかかった。その背景には、多くの人が情勢を見極めつつ、民衆側のリーダーが誰だかわからなかったからだと思う。ただ、現在では多くのことがクリアになり、今後のプランニングも明確になった。ちなみに8888運動のときもデモが開始されたのは5日後だった。

軍事政権への反対運動は3つある。

1⃣全国的規模で行う反軍事政権のデモ行進
 ミャンマーでは歴史上、植民地時代から反政府デモは学生を中心に行われてきた。彼らは実行力があり、民衆からも支持されやすい。アウン・サン将軍も学生時代に運動に参加し、最終的には国家の独立まで実現させた。
 1962年のネ・ウィンによるクーデター、1974年の国連事務総長であるウ・タント埋葬危機(ネ・ウィン政府が学生らを殺害し、ウ・タントの棺を奪還。これに対して学生が暴徒化)、1988年の社会主義革命事件(8888運動)、2007年のサフラン革命にも学生らは関わり、2021年の今回も学生が中心。軍事政権にすれば学生運動は最もやっかいな存在であり、民衆を引っ張っていってほしい。
 今回の学生らは民主政権下で育ったため、過去に比べて政治的意識は低いと思われる。しかし彼等も現代風にアレンジしながら対決姿勢を取ると信じている。経験のある先人たちに指示を仰ぎながら行動するだろう。

2⃣CDM(Civil Disobedience Movement)運動への参加
 33年前も同じようなCDM運動の参加への呼びかけがあったが、当時は失敗に終わり、軍政下となった。その時は前政権は解体され、軍政が行政を執行し、不服従運動に参加した人らは退職、もしくは逮捕に至った。
 今回は前回と違っており、今もNLDが存在しているということ。閣僚は軍部と交代するだろうが、そうした上での国政の執行は難しいと思われる。少なくとも1、2か月はかかるのではないだろうか。

(C) Mizzima

3⃣NLD議員らの行動
 総選挙に当選したNLDの党員が議会を招集し、国会を成立させること。憲法の条約では選挙してから3か月以内に議会を行わないと選挙結果が無効になるが、すでに大統領も国家最高顧問も決まったようだ。もちろん軍政は認めないだろう。90年の選挙も同じ様な状況で、同じ様なアクションをし、多くの人が逮捕された。しかし、今回の軍政は国際社会からの反発も強く、国連安保理の圧力もあり、NLDによる国会成立が国際社会に認められれば話は変わってくる。軍政も追い込まれれば、生きるか死ぬかの行動に出てくる可能性はある。自分で植えた木を自分で切ることになるだろう。

 今回、民衆の憤りは軍というよりもミン・アウン・フライン個人にあると考えている。今回の反対運動は長期化する可能性があるが、必ず勝利するに違いない。

(続く)

Bandee
1965年、ヤンゴン市生まれ。88年、ヤンゴン大学在学中に8888民主化運動に参加。91年に日本に留学し、語学を学ぶ。2004年にミャンマーに帰国後、ボランティアの日本語講師となる。現在は主に人材派遣の育成プログラムを作成し、教育事業を行っている