親日ミャンマー人が現地で経験した2度目のクーデター
(17)CDMは歪んだ構造を変える絶好の機会
(本稿は2021年2月執筆です)
明日は2が並ぶ2月22日。ミャンマーの過去のデモ活動も数字の羅列の日となることが多い。
昨日の凄惨なニュースはミャンマー全土で報じられ、多くの市民を落胆させた。犠牲となったのは3人。一人はマンダレーで国軍のスナイパーにより射殺、一人はヤンゴン郊外で自警団の市民が頭部を後方から狙撃され死亡、最後の一人はヤンゴン市内で誰かに首を切られ亡くなった。すべて軍が絡んでいると考えられる。国軍はこうした弾圧を続けるつもりだろうが、市民は決して屈しない。冷静になって今も証拠を集め、いつでも起訴できる準備を整えている。
国営ニュースによれば、国軍の発砲は故意ではなく、それどころか市民同士の喧嘩を止めるために発砲した際の事故死だったと堂々と虚偽の発表を行った。弾圧以外にもこうしてメディアを使って市民に揺さぶりをかけるなど、今後も国軍はあらゆる方法で市民をねじ伏せにくるだろう。アウン・サン・スー・チー政権についても捏造した罪状で解党に追い込むに違いない。
しかしながら、なぜ国民を守るべき警察が命令とはいえ、市民を襲うのだろうか。原因はすべて歪んだ構造にあると考えられる。
1962年のクーデターにより実権を掌握したネ・ウィン政権時代、軍部は政治に干渉できる仕組みを作った。優秀な軍幹部は民間人として各省庁の局長、もしくは次官として配属(ちなみに当時の高官の9割が軍出身者と言われている)。また、兵役で負傷しなんらかの障害を持った人材などを部長以下のポジションに据え、一般民間人は昇進できないシステムを構築した。最も重要な機関が税関と警察であり、軍部にとって非常に信頼の厚い人材が置かれた。それゆえ警察自体も軍部に絶対逆らうことはなく、いまだにそれが続いている。アウン・サン・スー・チー政権下では、そうした仕組みを解体しようと進めていたところだった。
ただ、現実はうまくいかなかった。強固な利権も相まってこうした仕組みが5~60年続いてきたため、簡単に変わることはなかったのだ。そのため、今回のCDMは大きな意味を持ち、それら悪の構造を変革させるため、このまま市民は抵抗を続けなければならない。革命が成功すれば、国はようやく変わることができる。国際的な協力も得ることができれば、実現できると信じている。
ミャンマーにこんな昔話がある。
ある村にともに目の見えない老夫婦と親孝行な息子がいた。ある日、息子が山中で事故を起こし、帰らぬ人となってしまう。熱心に親孝行をしていた息子の死を嘆き、神様が降りてきて、老夫婦に3つのうちの1つの願いを叶えてあげようと言った。
一つは息子が生きたまま戻ること、一つは老夫婦の目が見えるようになること、一つは一生お金に困らない財宝箱をもらえること。
あなたなら何を選びますか?
(続く)
Bandee
1965年、ヤンゴン市生まれ。88年、ヤンゴン大学在学中に8888民主化運動に参加。91年に日本に留学し、語学を学ぶ。2004年にミャンマーに帰国後、ボランティアの日本語講師となる。現在は主に人材派遣の育成プログラムを作成し、教育事業を行っている
バックナンバー
・(1)「クーデター発生から2日目の思い」
・(2)「アウン・サン・スーチー女史が国民に託した思い」
・(3)「なぜミャンマー国軍は強いのか?」
・(4)「なぜアウン・サン・スー・チー女史は国民に支持されるのか」
・(5)「今後のミャンマーの行方」
・(6)「私が為すべき役目とは」
・(7)「軍事政権への反対運動」
・(8)「国軍が戦略を変更したのはなぜか」
・(9)「ミャンマーの正義を守るための闘い」
・(10)「攻撃してくる象はまず一歩引く」
・(11)「2万4,000人の囚人が世に放たれる」
・(12)「上有政策下有対策」」
・(13)「民主化後、国軍幹部は処罰されるべきだった」
・(14)「日本人に伝えたい2つのこと」
・(15)「長期化も予想される籠城戦 vs 兵糧攻め」
・(16)ついに国軍による発砲で死傷者が