親日ミャンマー人が現地で経験した2度目のクーデター

第9回「ミャンマーの正義を守るための闘い」

 今回のクーデターで国軍と市民の衝突において、市民側が要求する「スー・チー氏などNLD議員の解放」「民主主義の回復」がクローズアップされているが、市民の心の根底にあるのは「正義を取り戻す」という大きなテーマがある。

 先進国で生きている人々にとっては、教育が当然のように確立されているので、人権尊重の理念に沿って育ってきたと思う。法治国家における正義という感覚を持っている日本人の皆様に、ミャンマー市民の政治的な心情を説明したい。
 ミャンマーは植民地支配されてから、教育は英国式教育とミャンマー式仏教文民教育があった。英国式教育は裕福なエリート子女たちが受け、仏教文民教育は一般向けであり、植民地支配から独立を目指すため、仏教をベースとした倫理的教育となった。いわばミャンマー国民として他人を思いやるという"正義”を教えられる場所だった。
 ミャンマーは独立後、国軍が政治に大きな影響力を持つようになったため、民衆は怯えながら生活をしていた。権力の行使によって一部の軍関係者だけが潤う形となり、1962年のネ・ウィン国軍最高司令官時代(当時はビルマ社会主義計画党議長)から民衆は不当な扱いを受けていた。ネ・ウィンは側近の幹部を自身に従順な人間だけで固め、立場を利用し徹底的な管理下に置いた。正義感のある優秀な幹部は決して昇進ができず、そうした慣習は今もなお続いている。

 今回のミン・アウン・フライン国軍司令官も前権力者のタン・シュエ国家元首の子飼いであり、タン・シュエ自身の安全が保証される形で決定した人事だった。当然そこには国民の意志がまったく反映されず、目的は自身の保身のため。そうして国の財産を自分たちの利権にし、子孫代々まで繁栄させながら国家を支配してきたという歴史がある。当時の公務員も職務を誠実に行わず、ミャンマーは汚職が蔓延する社会になっていった。
 そのような状況で立ち上がったのが、正義を謳う国民的リーダーのアウン・サン・スー・チー氏だった。スー・チー氏は父親譲りの正義感を持ち、道理に従い先頭に立って国民を守ろうとする革命家である。今回の闘いは、国軍が強いてきた横暴に対抗する正義の闘いであり、スー・チー氏を慕うのはミャンマーの正義を守るという意味合いも込められているのだ。

(続く)

Bandee
1965年、ヤンゴン市生まれ。88年、ヤンゴン大学在学中に8888民主化運動に参加。91年に日本に留学し、語学を学ぶ。2004年にミャンマーに帰国後、ボランティアの日本語講師となる。現在は主に人材派遣の育成プログラムを作成し、教育事業を行っている