親日ミャンマー人が現地で経験した2度目のクーデター

第11回「2万4,000人の囚人が世に放たれる」
(本稿は2021年2月執筆です)

 今日は連邦記念日。1947年2月12日に英国からの独立のために少数民族代表との間で合意したピンロン平和条約を締結した記念日ということもあり、ヤンゴン市内のレーダンセンターには多くの人が集まった。市民も気持ちが高まった状態で軍評議会に反発していたと思う。

▲レーダン交差点

 市民は日に日に勢いを増し、お祭りさながらのようにも見えた(一部の若者達はデモの重要性を理解していないようにも)。ただ、そうした感覚の違いは世代間で普通にあるだろう。
 今日の運動で何事も起こらなくて安堵している。一方、地方では国軍が発砲したゴム弾で軽傷者が出ており、大学を封鎖して逮捕者も出てきた。軍評議会も着々と攻めに転じているようだ。
 ヤンゴン市内も時間の問題だろう。先日は、近隣で警察官に拘束されかけた住民がいたが、近隣の鍋叩きの抗議でなんとか難を逃れた。ただ、実情は悪化の一途を辿っており、あちらこちらで拘束が続いている。日本の方には信じ難いと思うが、警察が拉致監禁を行い、市民が市民を守るという図式なのだ。警察は不当な令状で市民を脅し、恐怖を植え付けている。
 こうした動きは昔とまったく同じ手法であり、発砲、拘束、拷問、虐待といった暴虐の限りで市民に恐怖を与えてきた。そんなことが延々と繰り返されてきたのがミャンマーである。国民は国軍をまったく信用していないし、そもそもミャンマーの歴史上、軍の権力者は市民から軽蔑されてきた。

 一方、国軍は市民を無力だと決めつけ、その自信は揺らいでいない。政治家も対抗する力がないため、相手にされていない。今回のクーデターは私から見れば、ミン・アウン・フライン国軍司令官のスー・チー氏に対する嫉妬であり、もはやそれは私怨に近い。
 今回のクーデターについて、日本人による文章をいくつか拝見したが、ミャンマー人目線では正確な情報は3割程度という認識だ。7割は憶測に基づいたものにすぎない。
 今回のクーデターは、ミン・アウン・フライン国軍司令官自身の野心によるものであり、愚かな感情によって引き起こされたと考えている。多くの方が書いていた「国軍のため」「少数武装勢力との和平交渉のため」「経済回復のため」といったことであれば、ここまで残虐な弾圧にはならない。国軍の正当性は、現在まで何一つない。今日も恩赦によって、刑務所から2万4,000人の囚人が放り出され、社会を混乱に陥れようとしている。国軍はあらゆる手段を使って徹底的に市民を弾圧するだろう。

▲インセイン刑務所

 CDMの影響で本日から銀行業務がストップし、役所も機能せず、今後は国軍との知恵比べが始まる。そうしたなか、アメリカによる経済制裁は期待できるものだし、国内も一致団結して対抗するしかない。また、日本の断固たる制裁表明にも感謝したい。

 これからミャンマーは経済、政治が混乱していくだろうし、国軍は引き続き弾圧を強化してくると思う。
 皆で力を合わせて戦っていくしかない。

(続く)

Bandee
1965年、ヤンゴン市生まれ。88年、ヤンゴン大学在学中に8888民主化運動に参加。91年に日本に留学し、語学を学ぶ。2004年にミャンマーに帰国後、ボランティアの日本語講師となる。現在は主に人材派遣の育成プログラムを作成し、教育事業を行っている