日本在住17年目のミャンマー人が見たクーデター

CRPHと国際社会の変化
(本稿は2021年4月執筆です)

国際社会へ向けたCRPHの取り組みと成果をまとめます。

4月8日に中国大使館がCRPHに初めて連絡してきました。CRPHからはCRPHを支持して国軍に圧力をかけるように要請しました。中国側は中国人の安全と中国人の資産を守るように要求してきました。CRPHは過去に3度中国政府宛に手紙を出してミャンマー国民を支援するよう要請しましたが一度も返信がなかったのです。

CRPHについてはこちらの記事でまとめています。

2021年2月5日に結成されたミャンマーの連邦議会代表委員会(Committee Representing Pyidaungsu Hluttaw)の略称です。クーデターで新政権の発足が出来なかったため、2020年11月の選挙で当選した議員を中心に発足した臨時政府で...


今まで一度も民衆側に寄り添わなかった中国が今になってCRPHに連絡して来たのは何かが変化している証です。中国は勝つ方に乗っかる姿勢でいるが米国をはじめとする西側諸国に近い政権が誕生するのを懸念しているように見えました。国内でも反中運動が激しくなりつつあります。

在英ミャンマー大使館では大使のチョー・ズア・ミン氏が大使館から締め出されるという騒動が起きました。国軍出身の大使次官補が大使館を制圧して大使館内でクーデターが起きたようです。実はチョー・ズア・ミン氏も国軍出身で、元から大使職を解かれる予定だったのです。職を奪われたチョー・ズア・ミン氏はCDMに参加し、CRPHと合流するという声明を出す「茶番劇」がありました。

写真:元在英ミャンマー大使のチョー・ズア・ミン氏が大使館の前で待っている様子

チョー・ズア・ミン氏は一度もミャンマー国民の声を聞かず、CDMにも参加していません。それがいきなりCRPHと合流するなどの幼稚な作戦をとったので、国民からは笑いものにされました。もちろんCRPHからも断られています。おかげで、国軍の幼稚かつ恥知らずな行動が世界中に知れ渡ったのでした。

CNN記者を招待
もう手段が残されていない国軍は、国軍に有利に報道をさせるためにCNNの記者を招待しました。一方、この時点で国内ではジャーナリストが26人も拘束されています。CNN記者は3日間の滞在で国軍の制限されながらも国民と少しだけ接触することができ、国民の切実な心の叫びや鉄鍋叩きの音を聞くことができました。CNN記者は使命を全うしてミャンマー情勢のありのままを報道してくれました。CNN記者が滞在中に会えた国軍の高官は、広報責任者の将軍だけでした。

写真:国軍の広報責任者の将軍へのインタービュー

国軍は国民の情報収集を絶たせるためにインターネット以外に、衛星放送の受信機についても使用禁止命令を出しました。各地で受信機が取り外されています。これでDVBやMizzimaなどの民間放送が見られなくなりました。若者達は、Federal FMというラジオ局を立上げて4月1日から放送しはじめました。毎週木曜日と日曜日に国内の情勢を届ける報道番組が放送されます。

隣接するタイと国連の動き
クーデターを黙認してきたタイ首相も、国軍の空襲被害から逃れる難民が増加しているため、国軍の暴力を受け入れられないとの声明を出しました。その後、タイ政府は難民を一時的に受入れ、人道的な支援はするとの発表をしています。

国連のミャンマー担当であるバーグナー特使が、ミャンマー情勢について各国の首脳と会談している事実をアメリカのForeign Policy紙が報じました。バーグナー特使はタイのバンコクに到着し、いつでも訪ミャンマーする用意ができていたのですが、国軍は彼女の入国を許可しませんでした。

CRPHは、国軍の市民に対する暴行、殺害、略奪、拷問などの証拠を18万点集めました。ドクター・ササは、国際刑事裁判専門の弁護士チームと連携してICC(国際刑事裁判所)への提訴の準備を進めています。

また、4月9日にCRPHのジン・マー・アウン臨時外相が国連安保理のアリア式会議に参加し声明を発表、ミャンマー国民が受けている被害と国際社会の支援を要請しました。彼女の言葉で記憶に残るものは「国民は平和と民主主義を取り戻すために何でも犠牲にする用意ができています」という国民の覚悟を表す一文です。国際社会から『保護する責任(R2P:Responsibility to Protect)』の施行を期待する、R2Pが施行されなければ国民は身近な武器で内戦に突入するという意味が含まれています。


国連安保理のアリア式とは
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の殺戮を目撃したクロアチアの牧師から国連の介入を依頼すべく、当時の議長ディエゴアリア氏宛に連絡をしてきました。国連と無関係な方からの依頼で国連安保理の正式な会議は開催できないため、国連大使たちの休憩室を使用して非公式な議会を開催したことから由来しています。

国連安保理の最優先事項としてミャンマーの情勢が満足できる解決策が出るまで対応して行くという結論になりました。次の目的は国連安保理でR2Pの施行を議題に議論するようにすることです。R2Pで圧迫される国軍に中国政府が説得するということで解決の糸口を見いだす可能性も出てきます。

生きるために戦う市民
国連のスピードでは自衛するしか生き残る手段がないと悟ったサガイン州タンセ市の市民は武器を持って立ち上がりました。7日の夜から8日の朝まで市民と国軍の衝突が起きて市民は時代遅れの猟銃、刀、火炎瓶で防御しました。国軍は6台分(約70名)の兵士で抑えきれず更にトラック5台分の応援部隊を要請する自体になりました。市民側は11人死亡、国軍側の死傷者は出たようですが詳細は不明です。またインド国境のタムーでは弾圧しようとしてした兵士が市民の防御と会い13名の兵士が死亡しました。


SNLD(シャン民族民主党)からは、すべての武装組織がCRPHと連携して全国民が願って止まない連邦防衛軍を結成を実現するように要請した声明を発表しました。

米国は、ミャンマー宝石産業に厳しい制裁を加えました。これでミャンマー産宝石はミャンマー国内でしか取引できなくなってしまいました。国の行政システムの90%はCDMによって停止している状態でミャンマーは失敗国家の地位に落とされました。

やっぱりミルクティーが好き
Twitterではタイ、香港、台湾とミャンマーの若者たちが民主主義の実現への応援としてミルクティーアライアンスの絵文字を作成しました。

最後に「他の人が出ないから、僕らが出ないとなると民主主義は実現しない」と言ってデモに参加した北ダゴンに住んでいた英雄の言葉には、胸を締め付けられます。

彼は国軍の弾圧に会い、嫁と子供を残してこの世を去りました。

・CDMという強力な武器

1988年を経験した筆者は国軍の弾圧がエスカレートして国民の犠牲者が出ることを知っていたので国軍は武力でしか倒せないとばっかり思っていました。ただ武力で戦い始めて30年経ちますが未だに歯が立たないのが現実です。今国軍が苦しめられているのを見るとCDMこそがものすごい効力のある武器だと認識できます。CDM運動は非暴力で平和的な手段のため世代や分野を問わず全員が参加できるメリットもあります。

武力が必要ないからこそすべてを反抗の武器に使えるのが見えたかと思います。CDM以外にも社会的制裁(Social punishment)、ボイコット、不買運動などの権力への対抗手段がたくさんあるのを実感できました。今回のノーベル平和賞へのノミネートにより、ミャンマーの情勢が世界中からより注目され、国軍は更に圧力を受けます。

今回こそはミャンマー国民が勝ちます。それからミャンマー国軍はこの世から抹消され再び平和が訪れると信じています。

(続く)

テウインアウン
日本在住17年目のWebエンジニア
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