日本在住17年目のミャンマー人が見たクーデター

ササ医師とは?
(本稿は2021年3月執筆です)

ササ医師はチン州出身の医師でミャンマー国家顧問のスー・チー氏とすごく距離の近い人物です。3月17日、ミャンマー国軍がササ医師を反逆者として逮捕令状を出しました。するとササ医師から即座にこういう声明が出されました。

ミャンマー国軍が私に逮捕令状を出したことを誇りに思います。
これで私はミャンマー国民と一緒に国軍と戦っていることが証明されました。。。。

完全に国軍に対して皮肉った表現でした。国軍は逮捕状を出さずとも好き放題国民に対して虐待と殺害を繰り返しています。わざわざ令状を出した理由はササ医師に対して宣戦布告するためでした。

経歴


ササ医師はミャンマーでも最も山岳地帯が多いチン州の少数民族でインドとアルメニアに医学を学び今は医者として活動しています。チン州では知らない人はいないほど有名な慈善活動家です。スーチー氏のノーベル平和賞の賞金で設立されたインドの学校で学んだ後にアルメニアの大学で医学を学んで医者になりました。またイギリスのチャールズ皇太子ともとても仲良いよい関係です。チャールズ皇太子の支援でHealth & Hopeというミャンマーの少数民族への支援団体が設立されました。主にミャンマーでも一番遅れているチン州の発展のために活動しています。山岳地帯が多く交通面で遅れをとっているチン州のために小型旅客機の滑走路建設、インターネットを使った遠隔医療やドローンによる物資の運搬などを実験しています。

生い立ち

ササ医師は自分の誕生日を知りません。ササ医師が生まれた時は父親は遠出しており、母親は字が読めずカレンダーを理解できないからです。父親は小学2年ほどの教育しか受けていません。ササ医師の生まれ故郷の村では年に一度しかシャワーを浴びません。普段は英語とチン族の独自の方言を使うためササ医師はミャンマー語が苦手です。

クーデター初日

クーデター初日の2021年2月1日にはミャンマーの議会のある首都ネピドーの議員会館に他の議員たちとともに過ごしていました。ササ医師はスー・チー氏の2期目の新政権に加わる予定だったそうです。当日早朝に兵士がやってきて次々と議員たちを拘束していきました。ササ医師のことは一般的にはあまり知られていなくてタクシー運転手の姿に変装して逃げることができました。それから三日三晩かけて国外の安全な場所に辿り着いたようです。

国連特別大使として


クーデターでミャンマーが暗黒の地に落ちた後にCRPH(議会代表委員会)がササ医師をミャンマーを代表する国連特別大使として任命しました。それによってCRPHが国軍より外交面で優位に立つことができました。武器の持たない国民は国軍に打撃を与えられません。外国の制裁や支援、それからミャンマー国内の事情を正しく伝えることが国軍への大きな打撃になります。

国連以外にも各国の政府と人権団体に対して国軍への制裁強化を依頼することや各国のメディアへの対応、それから国内の少数民族の武装勢力と連携などを積極的に行っています。また国際裁判所でミャンマー国軍の最高司令官を訴えるために国際法に詳しい弁護士団体と連携も行っております。

国民からの希望


ササ医師とCRPHの努力により世界各国のミャンマー大使や大使館職員の多くはCDMに参加しました。ミャンマーの状況を正しく発信することができるため世界各国の反応が強くなってきています。 お陰で欧州連合はCRPHを正式な政府として認めました。

ササ医師はチン族ですがCRPHによって任命された連邦首相のマン・ウィン・カイン・タンもカレン族の方です。カレン族の武装組織KNUも国軍を一掃すると宣言しました。昨日はCRPHがすべての少数民族の武装勢力のテロリスト指定を解除すると発表しました。今やミャンマーは少数民族の助けですべての民族の権利が守られる連邦政府を確立しようとしています。そのあとは今までテロリストとして指定されていた少数民族の武装組織が連邦防衛軍に変わります。これで自国民を虐殺しているミャンマー国軍が一気に窮地に追い詰められて解体が早まります。これこそがミャンマー国民の望んでいる未来です。

(続く)

テウインアウン
日本在住17年目のWebエンジニア
https://sinpaout.github.io/about/