日本在住17年目のミャンマー人が見たクーデター

CRPHとは?
(本稿は2021年3月執筆です)

ミャンマーのクーデターにおけるCRPH(連邦議会代表委員会)の役割を説明します。

CRPHとは
2021年2月5日に結成されたミャンマーの連邦議会代表委員会(Committee Representing Pyidaungsu Hluttaw)の略称です。クーデターで新政権の発足が出来なかったため、2020年11月の選挙で当選した議員を中心に発足した臨時政府です。臨時がついている理由は国軍の不当な拘束で職務を果たせない大統領と国家顧問のスー・チー氏の代わりに政府の運営をしているからです。

2020年11月選挙で当選した議員15名で結成され、2015年にも当選している議員が多く政府の運営経験が5年間あります。3月4日にCRPHメンバーの議員4名を下記の管轄で臨時連邦大臣として任命して国家の運営に着手しました。

・外務関係(日本で言う外務大臣)

・大統領官邸と連邦政府大臣(日本で言う内務省)

・財務関係(日本で言う経済産業省)

・保健、労働、教育関係(日本で言う厚生労働省)

CRPH最優先目標
CRPHは下記の4点の実現を目標に行動しています。

1)独裁政権の廃止

2)大統領と国家顧問スー・チー氏を始めとする不当に拘束されている全員の釈放

3)民主主義の実現

4)2008年憲法の廃止と連邦政府の実現

1から3はもちろんですが4が実現できるとスー・チー氏でもなし得なかったことをCRPHが国民と連携して達成することになります。
これはスー・チー氏が目指している国民の姿でもあります。

外国関連政策
CRPHが真っ先に対処したのは国連へ正しく訴えるための対策です。2月12日に国軍と近いMyint Thu大使が国軍の声明文を読み上げて国軍は正当にクーデターを起したと主張しました。彼の行動は全く国民を代表していません。2月27日の国連総会ではチョー・モー・トゥン大使がCRPHの声明文を読み上げて国軍のクーデターを非難しました。それに続いてCRPHはササ医師を国連特別大使として任命し、アメリカでもCRPHを代表する事務所を設置して外国との連携を強めて行っています。

国連総会でチョー・モー・トゥン大使が国民へメッセージを送る様子

国連のチョー・モー・トゥン大使のおかげで欧米諸国と日本、韓国などのミャンマー大使館の職員が次々とCDMに参加してきました。

経済政策
次にCRPHが対策したのは国軍への資金流入の経路断つ政策です。経済政策を打ち出して国民と連携し、国軍を反撃しました。現時点で実質場国の徴税機関などは国軍が抑えています。国民からの税収や企業からの配当はすべて国軍に流れてしまいます。

まずは国民や企業からの徴税を保留することを決定しました。それからコロナ対策で公務員に融資していた給与2ヶ月分の返済や農家への融資の返済を免除すると発表しました。ミャンマーの国家予算の20%になる電気代の徴収も停止しました。

外国からのODA援助の停止を各国に依頼しました。また国軍が紙幣を刷る可能性があるので紙幣用紙の輸入を行っているドイツ企業に禁輸させるべくドイツ政府に訴えかけました。

ミャンマー政府は国内の天然ガスや石油などの地下資源発掘企業から配当金として毎月7.5億~9億ドルの收入があります。CRPHはその配当金の受領を保留し革命の後に配当を受けるように企業側に伝達を出しました。それから国軍が行った国債の販売オークションへの入札をしないように指示し、国軍主催の宝石販売会に参加する企業はブラックリストに載せられるという声明も出しています。

副大統領任命
3月9日副大統領代行としてドゥー・ワーラ・シーラ氏を任命しました。彼は職務遂行不可能な大統領の代わりに国家の運営に加わります。大統領権限により1995年に当時の軍事政権に制定されて警察法が廃止されました。これにより警察官はCDMに参加しやすくなります。

国民との連携
国軍に対する反抗デモ遂行の指示や公務員がCDMに参加するための取込みを日々行っています。また全国のCDMメンバーへのサポートも行っています。国軍の一方的な武力弾圧から身を守るために元から憲法に組込まれている正当防衛法の提示や市民からなる自治体の発足を指示しています。Twitterで国民からの質問を受けるなどして国民への情報共有と不安解消に尽力しています。連邦政府の発足と連邦防衛軍用の予算確保のために世界中のミャンマー国民から寄付を募っています。CRPHへの寄付はこちらのリンクからできます。

外国との関連
インド政府に脱走兵と警察官を含む難民の受入を要請しました。また欧米を始めとする諸外国とも連携して国軍への制裁を強めるように働きかけています。EU連邦は3月9日にCRPHを支持すると正式に発表しました。ササ医師は国際法に強い弁護士チームと連携して国軍最高司令官を国際裁判所に訴訟する準備を進めています。もちろん国連安保理に対して保護する責任(R2P)を要請していますが中国とロシアの拒否により実現しない可能性が高いです。

少数民族との連携
国軍への攻撃手段としては少数民族と連携した連邦政府の発足と彼らの武装組織からなる連邦防衛軍の確立が一番有効的です。

各少数民族武装組織のリーダーとCRPHメンバーの会談の様子

国軍は長らく少数民族武装組織をテロリスト集団として指定していましたがCRPHはそれを撤廃しました。既にカチン州を代表するカチン州の政府委員会(KPICT)が立ち上げられてCRPHとの政治的な連携が行われています。カレン族のKNUとチン族の武装組織もCRPHを支持すると公に発表しました。最近はアラカン州の武装組織AAも国軍の行為を非難する声明を出しました。

国軍の反応
国軍がCRPHを反逆組織として指定してメンバーの逮捕状を出しています。またCRPHと関係を持つ組織や人間はすべて逮捕の対象となる脅しの声明も出しました。国軍の今の最優先課題はCRPHのメンバーの拘束です。CRPHのメンバーは国軍に拘束されたら必ず殺害されると思います。

CRPHの存在意義
1988年は大規模反政府デモが全国レベルに発展し、政府が崩壊して多数の犠牲者が出ました。当時の犠牲者も国軍の武力弾圧によるものです。その後動乱を収めるべく国軍がクーデターを起して再度選挙を実施します。選挙ではスー・チー氏を迎え入れたのNLD党が圧勝しました。すると国軍はNLD党に国を統治するための憲法が存在しないという不当な理由をつけてNLD党に政権を渡しませんでした。それ以来国軍は独裁政治を施行しNLD党の排除や政治家の弾圧を続けて徐々に国軍の権力を強めて行きました。

当時は学生同士の喧嘩から始まった反政府運動が国民の不満を起爆剤に政権転覆まで至りました。しかし当時はCRPHのような組織が存在しませんでした。国民はリーダー不在のままさまよいながら新政権の構築は誰も予想していなかったのです。これが国軍の策略にハマった大きな原因の一つでした。

今回は1988年と違って政府運営を5年間経験したメンバーと結成されたCRPHが国民を引張っています。国民への先導、外国との連携、国軍への圧力これらはCRPHがあってこそ可能になったものです。近いうちに2008年憲法の廃止と連邦政府の発足が行われる見込みです。

国軍は1988年のシナリオ通りに実行しています。CRPHがなければこの時点で国民は弾圧に負けてしまいます。ただ今回はCRPHの反撃によって国軍は政治、経済、外交面ですべてを失いました。これで60年以上続いた軍による独裁政治が幕を閉じます。ミャンマー国民の成功を機にお隣のタイや香港でも民衆が勝利してアジアの春になるように祈っています。

(続く)

テウインアウン
日本在住17年目のWebエンジニア
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