このコラムは、ミャンマー在住の日本人ジャーナリストが『日刊ベリタ』に匿名で寄せたものをMYANMAR JAPONが固有名詞や用語を本誌に合わせて再編集したものです。記事の内容は筆者の見解であり、弊社ならびに日刊ベリタの意見を表すものではありません。

軍高官や軍政支持者からもミン・アウン・フラインに辞職要求の声
ミャンマー最前線からのレポート(4)

 ミャンマー軍トップの独裁者ミン・アウン・フラインの辞職を求める声が、軍高官や軍政支持者から公然とあがってきた。この勢いは止まりそうにない。クーデターから3年を前に、ついにミャンマー軍の亀裂が表面化してきた。圧政と恐怖政治でも抑えられなくなってきたこの勢いは、今後増していくことはあっても衰えないのではないか。

▽ミャンマー軍支援の高僧が「リーダーの資格なし」
 まず1月16日、極端な民族主義でミャンマー軍支援を続けてきた僧侶が数百名の聴衆を前に声をあげた。「ミン・アウン・フラインはリーダーの資格がない。退陣してソー・ウィン(序列2位)がその座につくべきだ」。

 この僧侶は国粋主義仏教徒組織のリーダー。その集会場所はミャンマー軍士官学校があるマンダレー管区のピンウールインである。英国BBCなどによると、聴衆は歓呼で応えたという。

 この仏教徒組織は、2007~8年の民主主義闘争の高揚が「サフラン革命」とも呼ばれるように僧侶の決起が大きな影響を与えたことを「教訓」として、ミャンマー軍やクローニー資本家らが援助して作り上げた軍部支援団体である。ロヒンギャ弾圧にいち早く共鳴し、一部は武装して反軍運動の市民を攻撃してきた。

 軍政からみても「やりすぎ」と映り、指導者が拘束、逮捕されたこともあった。が、保釈されるやいなミン・アウン・フラインから援助を受けるといったこともあり、最も熱烈なミン・アウン・フライン支持団体とみられていた。

 この変化の裏には、前独裁者タン・シュエ議長の影響を指摘する声もあがっている。それを意識してだろうか、当のミン・アウン・フラインはこう言いだしている。「権力にいつまでも執着するつもりはない。早く選挙をやり、そこで多数をとった政党に権限を移譲する」

 言うまでもなく、これは自身の免罪をはかり軍政継続させる狙いである。だが、もはやこの人物が全権を握っていてはミャンマー軍も国もダメになるとの声がミャンマー軍指導部のなかで絶対多数になりつつあることも明確に示している。

 2023年10月27日以降の北部シャン州での敗北で「停戦協定」に賛成した6人の将校(准将)は首都ネピドーに送還され、軍事法廷で「死刑」や「終身刑」が言い渡された。現在ではこの戦闘にとどまらず、いつどこの戦闘でも、ミャンマー軍は敗退、兵器武器をほとんど残して白旗をあげている。総司令官が責任を一切とらず次々と作戦指揮官をクビにするやり方は、誰の目にも不当で異常に映っている。空軍の将軍は匿名を条件に地元紙に、「ミン・アウン・フラインは史上最悪の指導者」「国の恥」とまで言ってのけたという。

▽「彼が居座ればミャンマー軍がもたない」
 ミン・アウン・フラインには「恩人」で前の独裁者だったタン・シュエのような「人事の妙」は発揮できない。「軍事作戦の失敗」「任務不履行」「汚職」等などの理由で部下のクビ、拘束逮捕、投獄を繰り返してきた。有能といわれ「後継候補」とされた序列ナンバー3の参謀長をはじめ、空軍や海軍の司令官、マグウェ軍管区司令官、ザカイン軍管区司令官などがその例である。

 軍人の力は、配下にどれだけ実働部隊や兵力をもっているかが決定的だ。だからそのラインから外された幹部が不満や不信を口外することはあり得る。この四半世紀近く軍の内部事情をそれなりに見てきた筆者からすれば、ミャンマー軍は一度たりとも一枚岩になったことはないといえる。

 軍情報部を完全に掌握し首相 (2003.8~2004.10)にもなったキン・ニュンと軍指揮系統を握ったタン・シュエとの対立が抜き差しならぬ事態になったことを知ったのは、「軍の最高幹部会議を開くときには拳銃は不携行との申し合わせが決まった」と聞いたときだ。その後まもなく、2004年10月にキン・ニュンはタン・シュエの命令で逮捕され全権を失った。

 それ以降もタン・シュエ独裁が続いたが、常に批判勢力は存在した。軍人のなかには軍アカデミーを優秀な成績で修了し、バランス感覚もありミャンマー軍トップの独裁を憂える幹部も少なからずいた。それが2016年にミン・アウン・フラインが軍トップについてからはみな押し黙った。独裁の恐怖統制が始まったことを筆者は感じ取った。それでも、時折内部情報はもたらされていた。だが、2021年1月の軍クーデターの後は、ぱったり内部情報が出なくなったのだ。

 軍人としての実績も誇るにたるものでなく、懐も浅いミン・アウン・フラインはとても歴史あるミャンマー軍を統率できる人物にはみえないが、なぜ他の幹部が口をつぐんでいるのだろうか。筆者は訝しく思ってきた。

 やっと答えが見いだせた。全権を握った人物の器が小さすぎたのだ。だから、がんじがらめに軍を縛ろうとして突っ走り、破綻してしまう。そういうことなのだ。

 今ミン・アウン・フラインは「名誉ある撤退」を狙いだした。いずれ軍からは退く。国民不在の軍のお手盛り選挙をやり、そして国会選出でしかるべき地位に就く。そういう筋書きを描き出しているらしい。これも軍中枢から出ている観測である。

 このままミン・アウン・フラインが居座るならミャンマー軍はもたない。それが軍高官らの共通認識をなってきたのだ。

 ミャンマーの現状をみるにつけ、筆者は1990年代後半の出来事を思い出す。かつての麻薬王ローシーハン(アジアワールド創業者)から直にきいた話のことだ。

 1988年に高揚した民主闘争が大弾圧で「終息」し、万余の学生、市民らが少数民族の武装勢力支配地に逃げ込んだ時期のことだ。軍政のナンバー3のキン・ニュンが拘束中のローシーハンに会いに来て政治的取引を提案した。「これだけの反政府運動がひろがり、そこに少数民族武装勢力が合流したら軍政はもたない。あなたは依然としてその武装勢力に大きな影響力がある。ミャンマー軍とその各勢力との『和平協定』をむすぶよう尽力してもらいたい。それがうまくいったらあなたを無罪放免し、ビジネス事業含めあらゆる点で自由にする」。

 こうして軍部は安泰、アジアワールドはミャンマーの大財閥となったのである。
 平野部のビルマ族とおもに山岳地帯の少数民族が反軍の旗印のもと共闘したら、ミャンマー軍は勝てない。これがミャンマー軍部の「最大の危機管理」なのである。 (つづく)
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