このコラムは、ミャンマー在住の日本人ジャーナリストが『日刊ベリタ』に匿名で寄せたものをMYANMAR JAPONが固有名詞や用語を本誌に合わせて再編集したものです。記事の内容は筆者の見解であり、弊社ならびに日刊ベリタの意見を表すものではありません。

独裁者は孤立し疑心暗鬼に
ミャンマー最前線からのレポート(2)

 チン州からの現地報告につづき、反軍勢力内部の矛盾、対立が現在どうなっているかを書き進めようとした。だがその前に、より重大なミャンマー軍内部の亀裂と対立の動きが表面化しつつあるのでそれをお伝えしたい。

 独裁者ミン・アウン・フライン総司令官は、疑心暗鬼となり孤立してきた。

▽将軍たちの家族を「人質」に
 このところ将軍クラスの「刷新」「左遷」「逮捕投獄」が目立つ。作戦敗退の責任を取らせ、あるいは「汚職罪」で逮捕などである。その補填のため「子飼い」の忠誠を誓う幹部を抜擢しようとする。だが、その人材が枯渇してきたのだ。

 現在、約40名の現役将軍(准将から上級大将まで)がいるが、その一人ひとりに「誓約書」を提出させている。そこには家族構成や連絡先、身分証番号なども書き込ませる。つまり、独裁者を裏切れば家族にまで危害が及ぶという脅迫である。さらに、幹部のなかに不審に思うものがいれば、その家族(多くの場合は妻)を総司令官の地方出張時にわざわざ同行させる。いずれも家族を人質にするやり方である。

 「誓約書」や「家族人質」に応じなければ即クビ、下手すれば逮捕となるので、誰もが従うしかない。当然、不満や不信、そして絶望的な声が周囲に伝わる。「ミン・アウン・フラインはもはや常軌を逸している」「誰もついていかない」「末期症状だ」「彼は白旗をあげるしかない」… そういう声を、筆者は総司令官側近の家族や親族から聞くようになっている。

 この孤立してきた独裁者は珍しくシャン州南部のチェントンに出かけたが、地元紙は拳銃を肌身離さず携行している姿を掲載した。

 ミャンマー問題への東南アジア諸国連合(ASEAN)の対応がなかなか実効力を発揮しないことを何とももどかしく思ったりもするが、一方でミン・アウン・フライン自身はもっと苛立っているようだ。

 今年からASEAN議長国がラオスになったが、その駐ラオス・ミャンマー大使を召還、逮捕し懲役10年の刑を言い渡してしまった。そして、ASEAN各国に派遣した大使を全員召喚し、軍への忠誠度を確かめようとしている。

 大使不在で先行きが危ぶまれるため、タイのミャンマー大使館はビザや広報業務を当分停止するという。大使が収監されてしまうかもしれず、別の大使が派遣されてきても本国のASEANに関する方針が明示されなければ大使館としても動きようがない。

 また、大使が誰になるかよりも、その家族の任地への同伴・同居が認められるのかが大使館関係者らの関心事となっている。その許可が出るということは、よほど独裁者の信任が厚いことの証で、逆に言うと「警戒すべき人物」とみなされる。なので、単身での赴任しかないだろうという見方が大勢を占めている。

 こうした独裁者による「家族人質作戦」は軍の末端にまで広まっているのだが、ここでも家族ごとの「着任」が望ましいとされている。家族を人質として戦力の流出を防ごうとする作戦がとられているのだ。

 クーデター直後までは兵士を金で縛る方策がとられていた。下級兵士の給料を上げ(それでも百数十米ドル程度だが)、その一部をミャンマー軍系企業に積立てさせ「軍を許可なく離脱したら積立金は没収する」という方法である。だが、欧米の経済制裁強化もじわじわと効き、軍系企業の資金運用が厳しくなった。そうなれば、兵士も軍に帰属し依存する意味が薄れる。おまけに戦況が悪くなれば、当然ながら金よりもまず命が大事になる。このため、現在どの軍事施設でも家族の外出は極めて厳重な監視のもとにある。

▽脱走兵が軍拠点攻略の先頭に
 では軍内部の動きから、筆者が取材を続けているチン州の状況に戻ろう。

 警察官のモー・モー・ルイン氏(シャン州出身)は、まず故郷から遠く離れたバゴーや首都ネピドー、その後チン州のタイゲーンの軍事基地に送られ、毎日塹壕(ざんごう)掘りばかりやらされた。「近々犬ころ(ミャンマー軍兵士は反軍勢力をそう呼ぶ)が攻撃してくる」と背丈よりも深く掘る長時間の作業に駆り出された。

 彼は人間扱いされないことに我慢ができず、脱走した。家族の住む村はあまりに遠く、呼び寄せることが出来なかったのが幸いした。途中バイクが故障し、乗り捨てて徒歩で逃げた。

 住民に根ざした活動をするシーイン族の民兵組織が、その脱出の知らせを掴み身柄の確保に動いた。モー・モー・ルイン氏は民兵らの空にむけて撃った銃声を聞き、「殺される」と観念したという。「犬ころに捕まったら必ず殺される」とミャンマー軍幹部から言われていたからだ。

 だが、民兵組織は「逃げてきたのなら安全を保証する」と約束し身柄を保護した。逃走の際、同僚の警備員に見つかり誰何され、大声で「逃げるなら撃つぞ」という叫びが聞こえた。しかし、その警備員は「わざと当たらないように撃っているのが判った」という。

 元ミャンマー軍の脱走兵にも会った。軍のクーデター時にはカレーミョー(ザカイン管区)の軍事基地勤務だった。上司もチン族で、通信担当をやっていた。クーデターの知らせは暗号で送られ、上司からすぐに聞いた。しばらくして脱走を決意させたのは、母からの電話だったという。

 「わたしはこのクーデターに絶対反対だ。不服従運動のデモに参加するからね。あんたはまだ軍にとどまっているの?軍はデモに発砲しはじめたのよ。あんたはわたしに銃を向けることになるのね」

 彼は仲間と計4人で脱走を試み、いったん国境を越えインドのミゾラム州に逃げる。内2人は一般市民にまぎれこみ、残る2人は反軍武装勢力に参加する。戦闘で脱走仲間を失い、ひとり残された。それでも、今ではシーインの民兵組織で最も果敢で頼られる戦闘員となっている。

 ミャンマー軍は兵員不足が深刻になり、警察官や消防団、自警団などから補充するだけではとても足りない。失業者や出所した元犯罪者などをリクルートしようとする。当然「誰でも構わない」となる。そこで、反軍勢力は一定期間を決めて「スパイ」を送り込む。こうしてミャンマー軍の作戦は筒抜けになったりする。今ではミャンマー軍部隊の前線で使用するトランシーバーも傍受され、待ち伏せ攻撃を受けるようになってきた。

 シーイン族の民兵組織から1月16日、タイゲーンの軍キャンプを陥落させたとの知らせが入った、次の目標はザカイン省のカレーミョーだとも言った。モー・モー・ルイン氏が塹壕掘りを毎日させられていた軍事基地は、民主派武装勢力の手に落ちた。

 筆者がインタビューした元ミャンマー軍兵士は、次の目標を攻略するため攻撃の先頭に立っている。カレーミョーに空港もあり、軍の西部戦略の拠点である。すでにチンランド防衛隊(CDF、ミンダッ)、チン国民軍(CNA)、ヨー市民防衛隊(YDF)、カチン独立軍(KIA)、アラカン軍(AA)が共同作戦で包囲網を狭めており、今月中に陥落させるとの見方がひろがっている。  (つづく)
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(1)ミャンマー軍の崩壊が始まった