【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

株式会社吉沢車輌 代表取締役 吉沢康弘 氏(P.2)

「1年後に100万円を寄付」
目標から逆算して起業を決断

永杉 それが今に至る寄付活動の始まりになるのですね。

吉沢 咄嗟に出た宣言でしたが、当時の自分には100万円なんて到底用意できませんでした。今だから言える話ですが、レース参戦費用などを捻出するため、消費者金融から600万円ほども借金をしていたのです。
 それでも、どうしても彼らを支援させてもらいたい。では、どうすればいいかと考えたときに、パッカー車修理の経験を生かして起業するしか道はないと思いました。

永杉 寄付をしたいという思いが先にある起業だったとは驚きです。実際、1年後に寄付できたのでしょうか。

吉沢 残念ながら期限を正確には守れませんでしたが、1年4ヵ月後に100万円を用意できました。まあ、実は20万円ほど足りなくてカードキャッシングをしたため、税理士さんにこっぴどく叱られたという裏話があるのですけれど(笑)。そのように集めたお金だったので、どうしてもシンシア先生に直接受け取ってもらいたくて、振込ではなく、日本円を持参してそのままお渡ししたのです。

永杉 苦労して集めたお金を、直接日本円で渡したかったという気持ちはよく理解できます。こうした活動を娘さんはどう思われていましたか。

吉沢 お渡しした100万円で建てた病棟のオープニングセレモニーには、娘も一緒に参列してくれました。娘には、クリニックの状況を見せることで、日本がいかに恵まれていて、やろうと思えば何でもできる環境であることが少しでも伝わったかなと思っています。

▲起業から1年後には100万円の寄付を実現
(右隣は不登校だった娘さん)

永杉 娘さんはきっとそう感じてくれたと思います。この100万円の寄付を皮切りに、吉沢さんはこれまで約1,500万円の寄付を行いました。お隣のタイでも支援をしており、先日は在日タイ大使館のレセプションパーティに「つなぎ姿」で参列してスピーチを行い、壇上でさらなる寄付金をサプライズで手渡したと聞きました。これについて教えてください。

吉沢 タイのクローントゥーイというスラム街に、加古川成子さんという方が主体になって結成された「イマヌエルオーケストラ」という楽団があります。出身者の一人が後に音大に入り指揮者として成功するという実績も残した団体です。しかし、彼らがコロナ禍で苦境に陥ってしまいました。さらに加古川さんが交流の場として長年運営してきたサロンも、閉鎖が検討されているという話を耳にして、100万円を寄付させていただきました。今回レセプションに呼ばれたのは、この支援に対するものとのことでした。
 つなぎで登壇したことについては、ひとえに「町工場の心意気を見せたい」ということに尽きます。日本に元気がないと散々に言われていますが、町工場の人間がこんなことをできるんだぞとアピールしたかったのです。
 そして、壇上で寄付金30万円を追加で手渡したこともまた、アピールです。以前までの私は、いくら寄付したなどいちいち発表しませんでしたし、ましてや累計でいくら超えたみたいな話も一切していませんでした。しかし、在日ミャンマー人を含む多くの方が「公表すべきだ」とアドバイスをしてくれたのです。永杉さんもその一人でした。

永杉 「陰徳あれば陽報あり」という言葉もありますし、日本人らしく大っぴらにしない美徳も理解できます。しかし、これだけの寄付をしていることをミャンマー人が知れば「自分たちは見捨てられていない」と思えますし、他の経営者などが「自分も寄付をしよう」と思ってくれるのではないかと考え、お伝いさせていただきました。

吉沢 本当にそのとおりだと思いました。渋沢栄一は「社会実業家として、世の中により良いお金の流れを作れ」と言ったそうです。私はつなぎ姿で、他の町工場の経営者たちに対して「稼いだお金を懐に入れるだけではなく、一緒にいい方向へ流そう」と積極的にアピールしたいのです。

▲オフロードバイクのレースに人生を賭けた時期も(2013年撮影)

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