【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

株式会社吉沢車輌 代表取締役 吉沢康弘 氏(P.3)

ミャンマーで続く弾圧
支援対象者が音信不通に

永杉 吉沢さんとお話していて思うのですが、「寄付する」ではなく「寄付させていただく」という言い回しが多いことが印象的です。お人柄というだけかもしれませんが、なにか理由はあるのでしょうか。

吉沢 支援活動に力を入れると、本当に多くの方から寄付の依頼が寄せられます。私の場合、月30~40件ほど依頼が来ても、実際に寄付できるのはそのうちの数件に留まります。つまり、救いを求める声の大半を切り捨てなければならないのです。
 支援には限界があるとはいえ、切り捨ててしまった彼らへの後ろめたさや、後悔のようなものが「今回はこちらに寄付をさせていただく」という言い回しにつながっているように感じています。

永杉 決して「切り捨てた」とは思えませんが、辛い気持ちは理解できます。

吉沢 実は先日まで、ある市民防衛隊(PDF)のコミュニティとつながりがありました。寄付の窓口になってくれていたのは、クーデター前まで銀行員をしていた26歳のミャンマー人女性。彼女から数ヵ月前、「来月の食糧費を支援してもらいたい」と申し出があったのですが、その月はもう余裕がなく「来月は工面するから」と伝えました。しかし、そこからしばらくして、音信が途絶えました。他のメンバーとも一切連絡が取れなくなったので、おそらく全員が国軍に拘束されたものと思われます。
 もちろん、支援したからといって、結果が変わっていたわけではありません。しかし、あのとき断ったことは、今も胸に引っかかります。
 連絡が途絶える前のメッセージで彼女は、「私は人生のさまざまなことを犠牲にしてきたけど、後悔はしていない。でも時々、そのことがひどく寂しく感じる」と伝えてきました。そして「どうせ死ぬのなら、人間としての尊厳を持って死にたい」とも言っていました。私の娘とほぼ同年齢の女の子がこんなメッセージを送らなければならない現実に自分は打ちのめされました。命を賭けて自分達の国の未来の為に戦っている人達の為に、そして自分自身を鼓舞する為に「日本人としての誇りと気概」を世の中に魅せたいという思いが自分の支援活動の原動力になっています。

永杉 おっしゃるとおり、支援をしたからといって結果は変わらないのかもしれません。しかし、イマヌエルオーケストラのように、支援の結果、そこから活躍する子どもが出るかもしれない希望の方に目を向けたいと思います。吉沢車輌は業績も好調と聞いていますので、今後もしっかりと稼いで、良い方向にお金をどんどん流してもらうことを期待します。本日はお忙しい中ありがとうございました。

▲出張修理や夜間の緊急修理にも対応。顧客からの信頼は厚い

永杉 豊 [Nagasugi Yutaka]

MJIホールディングス代表取締役
NPO法人ミャンマー国際支援機構代表理事

学生時代に起業、その後ロサンゼルス、上海、ヤンゴンに移住し現地法人を設立。2013年6月より日本及びミャンマーで情報誌「MYANMAR JAPON」を発行、ミャンマーニュースサイト「MYANMAR JAPONオンライン」とともに両メディアの統括編集長を務める。ヤンゴンでは人材紹介事業を立ち上げ数多くのミャンマー人材を日系企業に紹介する。UMFCCI(ミャンマー商工会議所連盟)、ヤンゴンロータリークラブに所属。著書に『ミャンマー危機 選択を迫られる日本』(扶桑社)。

ミャンマー避難民の子供たちに食料と医薬品を