【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

写真家 亀山 仁 氏(P.2)

永杉 そのような活動が、写真作品集『Thanaka』『Myanmar2005-2017』の出版や、今も続くミャンマー関連写真展の開催などのキャリアにつながったのですね。
一方で最近、写真家として撮影するロケーションはミャンマー以外にも広がっていると聞いています。

亀山 撮影場所としてミャンマーを選ぶことは適切ではないと判断しています。
理由として挙げられるのは、やはり社会情勢です。現在のミャンマーは監視の目が厳しく、かつてのように自由に撮影ができる状態ではなくなりました。また、私はメディアやSNSなどを通じて軍に批判的な発言を多く発信しています。現地を訪れたら、旧知の友人と会うことになりますが、もしも私の発信が原因で友人たちに迷惑をかけてしまったらと思うと、簡単に渡緬するわけにはいかないのです。

▲ヤンゴン芸術高校で写真を勉強する生徒さんたちに写真の展示と講演(2016年12月、ヤンゴン市内)
クーデター後の写真展は展示内容を再考して実施

永杉 亀山さんはクーデター前からミャンマー祭りの理事を務めるなど、両国の友好のために尽力されてきましたが、2021年2月のクーデター後はさまざまな民主化支援活動を精力的に行っています。クーデターから現在に至るまで、どのような活動をされてきたかお聞かせください。

亀山 最初の活動は、まさにここ「ギャラリー冬青」で2021年4月に開いた写真展でした。クーデター前から写真展を開くことは決まっていたのですが、当初はまったく別のテーマの展示をする予定だったのです。しかし、クーデターが起こったその夜、当時の冬青社社長である髙橋国博さんからお電話をいただき「展示内容を再考するべきでは」というご助言をいただきました。そこで、改めて企画したのが、写真展『日常のミャンマー』です。

永杉 タイトルの通り、クーデターという非日常が襲いかかる以前の、穏やかな暮らしを切り取った作品を展示されました。クーデター後にあえてこのようなテーマを選んだ理由は何だったのでしょうか。

亀山 「今、現地のミャンマー人はこれほどまでに酷い目にあっているのだ」ということを見せるため、凄惨な写真を展示することも一つの手段だと思います。実際にデモや募金活動の際に、ショッキングな写真を展示して惨状を知ってもらう試みも行われており、気持ちはよく理解できます。
しかし、ミャンマーについて詳しくない一般の日本人に、いきなり恐ろしい写真を見せても逆効果ではないかという思いもあります。ですから、私はあえて穏やかな頃の写真を展示し、ご覧になっている方にさまざまな想像をしてもらいたいと考えています。

永杉 写真展は大手メディアにも取り上げられ、話題になりました。

亀山 朝日新聞が取り上げてくれたこともあり、多くの方にご来場いただきました。さらに、記事を見た兵庫県伊丹市役所の方からお声がけをいただき、当地で開催することもできました。『日常のミャンマー』は今も続いており、2023年2月には『日常のミャンマー3』を開催しました。

永杉 ほかにも、写真を通じてミャンマーを伝える活動を続けています。

亀山 最近ですと、埼玉を中心に募金活動などをしている「ミャンマーの人々に寄り添う会」が主宰する展示会に参加しました。そこには私のほかに、一コマ風刺漫画を使い「人権侵害」や「表現の自由を阻害する行為」に対し自由な表現活動を続けている団体「WART」や、クーデター当時にヤンゴン在住の中学生だった野中優那さんが帰国後に立ち上げた、かるたでミャンマーを知ってもらうためのプロジェクト「Yangonかるた」、普段のミャンマーを題材とした作品を制作するイラストレーターの「ikumi」さんなどが出展しました。
目を背けたくなるミャンマーの姿ではなく、穏やかなミャンマーを見られる展示会なので、ぜひさまざまな方に足を運んでもらい平和なミャンマーも考えてもらえればありがたいです。

▲ヤンゴン芸術文化大学で写真を勉強する学生や社会人に写真の展示と講演
(2018年8月、ヤンゴン市内)

ミャンマーの国内避難民は180万人以上に