【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

写真家 亀山 仁 氏(P.3)

▲チン州に今も残る日本軍に戦車の残骸(2019年8月、チン州トンザン付近)
「自分よりつらい人がいる」と苦しみを押し殺すミャンマー人

永杉 クーデターから2年半が経過し、亀山さんの活動も長期間におよんでいます。活動を続ける中で心境の変化はありましたか。

亀山 私は写真家ですから、写真を使ってミャンマーのできごとを知っていただくという基本的な方針に変化はありません。特に最近は、日本や国際社会からの関心が明らかに低下していますから、今もまだ問題は続いているのだと訴え続ける必要があります。
一方、こうした周知以外の活動にも力を入れ始めています。現地の国内避難民は増える一方で、今の状況が続けば近い将来ミャンマー国民の3分の1が深刻な貧困に苦しむことになるという試算も出ています。彼らに対する直接的な支援は急務です。
そのため、MIAOなど、食料・医療支援を行う団体の活動にも参画するようになりました。ほかにも、ミャンマーの子どもたちへの支援を行うNGO「SOSIA」や、在日ミャンマー人と日本人の有志で作られた「ミャンマーの平和を創る会(チィチィキンキン)」にも参加しています。

永杉 MIAOはもちろん、さまざまな団体でご尽力されていることは聞き及んでおり、生活のほとんどをミャンマー支援に費やす亀山さんの姿勢には頭が下がる思いです。
最後に、今後のミャンマーに対して思うことや、活動のビジョンについて教えてください。

亀山 ミャンマーに対して思うことは、「多くのミャンマー国民が望む社会を、一日でも早く取り戻してほしい」ということに尽きます。私に政治的な活動はできませんし、ましてや軍事的な支援などはできません。ですから、今やっている現地での食料・医療支援、日本での周知活動を愚直に続けていくしかないと考えています。
一方、支援のあり方として、多くの人々が見落としがちな「在日ミャンマー人への支援」にも、より力を入れなければいけないと考えています。
留学や技能実習生などで来日しているミャンマー人の家庭が経済的に苦しくなり、仕送りを増やさなければならなくなったミャンマー人は数多くいます。切り詰めて留学しているのに仕送りが増えたり、労働条件の良くない技能実習生が仕送りでさらに生活が苦しくなったりしているのです。しかし、彼らは一様に「母国の人々は自分よりももっと大変なのだから文句は言えない」と気持ちを押し殺しています。そのような生活をしているのに、さらにミャンマー困窮者の支援活動に力を使い、倒れてしまうミャンマー人もいるのです。
現地ミャンマー人への支援はもちろんですが、日本人として同じ国に住む彼らにも手を差し伸べるべきだと考えています。

永杉 毎月この連載でインタビューをしていると、日本人・ミャンマー人を問わず、休みもなく民主化運動を行い、さらに私財を投じて支援活動をしている方々を多く見受けます。ミャンマーの困窮者支援に関わる日本人でも厳しい状況ですが、これが異国で暮らす学生や技能実習生なら苦しみは尚更でしょう。彼らへの温かい目線を持つことも忘れてはいけないことだと思います。本日はお忙しい中ありがとうございました。

▲インパール作戦の中、お兄さんを日本兵に殺された女性を撮影
(2020年3月、チン州、ティディム街道)
▲戦争の記憶を今に伝える古老を撮影
(2022年12 月、インドマニプル州インパール)
▲日本兵が誰も辿り着けなかったインパール、ティディム街道の終点(起点)を示す0マイルポスト
(2023年1月、インドマニプル州インパール)

永杉 豊 [Nagasugi Yutaka]

MJIホールディングス代表取締役
NPO法人ミャンマー国際支援機構代表理事

学生時代に起業、その後ロサンゼルス、上海、ヤンゴンに移住し現地法人を設立。米国ではおもにライセンス・商標コンサルタントとして多くのブランドを日本に紹介する。2013年6月より日本及びミャンマーで情報誌「MYANMAR JAPON」を発行、ミャンマーニュースサイト「MYANMAR JAPONオンライン」とともに両メディアの統括編集長を務める。UMFCCI(ミャンマー商工会議所連盟)、ヤンゴンロータリークラブに所属。著書に『ミャンマー危機 選択を迫られる日本』(扶桑社)。

ミャンマー避難民の子供たちに食料と医薬品を