【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

外交官 アウン・ソー・モー 氏(P.2)

クーデター後の変化
次第に強まる軍の圧力

永杉 2020年12月に新たな駐日ミャンマー大使としてソー・ハン大使が着任したことを受け、「MYANMAR JAPON」TOP対談の第85回でインタビューを行っており、その際はモーさんにもお世話になりました。そして、そのわずか2か月後、2021年2月1日にクーデターが発生します。これに対して国民が強く反発をし、各地でデモが起こりました。

モー 若者を中心とした多くの国民がデモに参加したことは、アウン・サン・スー・チー国家顧問による民主化の流れが、ミャンマーに着実に根付き始めていたことを示すものです。「平和的なデモで声を上げれば、軍も方針を変えてくれるのではないか」という民主主義的な期待が国民の中にあったことは確かでしょう。しかし、軍は平和的なデモを行う国民に対して銃口を向けるという暴挙に出ました。

永杉 モーさんは2021年3月6日、自身のフェイスブックにおいてCDMへの参加を表明しました。クーデターからわずか1か月後のことです。表明に至るまでの心境を教えてください。

モー クーデターを知ったのは2月1日朝、起床後にSNSで知りました。その日から大使館の中でも軍の影響を感じる出来事が相次ぐようになりました。デモに関する虚偽の情報を日本に流布するように仕向ける圧力もありましたし、大使館に飾られていたアウン・サン・スー・チー国家顧問とウィン・ミン大統領の写真を外せという命令も下されました。
このような決して従うことのできない命令は他にも多々ありましたが、私がCDMへの参加表明を決意した決定的な出来事は、2月9日にネピドーで発生した銃撃事件です。
当時19歳だったミャ・トゥエ・トゥエ・カインさんが、抗議デモに参加した際に頭部を撃たれ、10日後の2月19日に亡くなりました。武器を手にしていたわけではなく、あくまでも平和的にデモに参加していただけなのに、軍は彼女の頭に銃口を向けた。絶対に許される行為ではありません。自分の子どもがあのような目に遭ったらと考えると、酷く心が痛みました。このような暴挙を働く軍に従いながら働くことなどできない思い、CDM参加表明に至りました。

永杉 当時の駐日大使館員でCDMへの参加を表明したのは、一等書記官であるモーさんと、二等書記官の女性のお二方のみです。CDMへの参加表明とはすなわち、これまでに積み重ねた外交官としてのキャリアをリセットすることです。それに留まらず、帰国ができなくなる可能性や、命の危険をも伴う極めて重い意思表明と言えます。CDM参加を表明することへの恐れはありませんでしたか。

モー 私は外交官として、正義のためならばいかなる発言や行動もいとわないことを心がけてきたつもりです。軍から派遣された上司に対しても、間違っていると思えば直言してきました。もちろん、組織の中の人間ですから、いたずらに上司に反抗するような真似はしません。明るく振る舞ったり冗談交じりに話したりしつつ、正義のために言うべきことはしっかりと発言し、武官とも対話を重ねてきました。
しかし、何の罪もない19歳の女性に銃口を向け、その後も国民に対して虐殺とも言える行為を続けるのであれば、もはや「冗談交じりの直言」や対話などという範疇の話ではありません。CDMの参加表明は必然であり、キャリアを失うことにも恐れはありませんでした。

▲自身のFacebookを通じてCDMへの参加を表明(2021年3月、駐日ミャンマー大使館にて)

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