【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

外交官 アウン・ソー・モー 氏(P.3)

民政移管前から続く文官と武官の溝

永杉 モーさんは93年から外務省で働いています。つまり民政移管以前、軍事政権の外務省を内部からご覧になっているわけです。NLD政権樹立以前は軍の影響も強かったと思いますが、その頃は軍に対する不信感はなかったのでしょうか。

モー 私の歴代の上司は大半が軍から派遣された武官で、意見の相違は多々ありました。それこそ先ほど申し上げたように、上司に対して直言することは幾度となく行ってきました。
実は、私の亡くなった父もかつて外交官をしていたのですが、軍派遣の大使とは意見の相違が多かったと聞いています。

永杉 文官と武官の間には、長年にわたる溝が存在していたというわけですか。ところで、お父様も外交官だったのですね。モーさんが今回このような行動を取られたことを、お父様ならどうおっしゃると思いますか。

モー 父と私は性格がよく似ていました。きっと、私の行動を誇りに思ってくれているはずです。

永杉 CDMへの参加表明後、軍評議会の支配下にある外務省はモーさんを解任しました。このあたりの経緯を教えてください。

モー 3月6日に参加表明を行ったあと、数日間は大使館に出勤していました。しかし、3月11日に大使館宿舎を出て都内某所に居を移しました。この頃、軍評議会によって一等書記官を解任されました。
現在は、私と同じように、各国の大使館赴任中にCDMに参加を表明した同僚たちと連携しながら、ミャンマーの民主主義を取り戻す活動をしています。また、大使館からは離れましたが、日本政府関係者の方々とは今も連絡を取っており、意見交換などを行っています。

永杉 クーデター後の日本政府の動きに関しては、他の在日ミャンマー人から苦言が呈されることが多くあります。モーさんは、この点についてどうお考えですか

モー 日本政府は、私の身の安全を考慮して、今も外交官ビザを発給してくれています。ですから、個人的には深く感謝しているということをまず申し上げたいと思います。
しかし、そのことと、日本政府の対ミャンマー政策に対する考えは分けて考えなければいけません。
日本は、古くからミャンマーに対して多くの支援や投資を行ってくれました。私は外交官としてそれを間近に見ており、日本からの支援を嬉しく、また心強くも思っていました。しかし、それはあくまでもスー・チー政権下の話です。
現在、日本によるミャンマーへのODAは、新規案件のみ停止したものの、継続案件は打ち切られることなく進んでいます。これは国軍に利するものでしかなく、ODAは即時停止していただきたいと、今も日本政府関係者の方々にお願いを続けています。
投資も含めた国と国との交流は、国民あってのものです。国民が支持していない軍との関わりは即刻打ち切っていただくことを強く要望したいです。

永杉 ODAに関しては、中途の打ち切りにより現地労働者の雇用が脅かされる可能性があるなどの指摘もあります。しかし、結果的に軍を利するものになっているという現状は重く受け止めるべきです。モーさんが発言されたように、支援も投資も、対象は軍や企業ではなく国民に向けたものであるべきです。我々もODAのあり方については、常に注意を向けていきたいと思います。本日はお忙しい中ありがとうございました。

▲東京・青山の国連大学前でCDMの決意を示す

永杉 豊 [Nagasugi Yutaka]

MJIホールディングス代表取締役
NPO法人ミャンマー国際支援機構代表理事

学生時代に起業、その後ロサンゼルス、上海、ヤンゴンに移住し現地法人を設立。米国ではおもにライセンス・商標コンサルタントとして多くのブランドを日本に紹介する。2013年6月より日本及びミャンマーで情報誌「MYANMAR JAPON」を発行、ミャンマーニュースサイト「MYANMAR JAPONオンライン」とともに両メディアの統括編集長を務める。UMFCCI(ミャンマー商工会議所連盟)、ヤンゴンロータリークラブに所属。著書に『ミャンマー危機 選択を迫られる日本』(扶桑社)。

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