【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

ドキュメンタリー映像作家 久保田 徹氏(2/3)

「お前がこれから行くのは、地獄のような場所だ」

永杉 軍に拘束されてからは、どのようなプロセスだったのでしょうか。

久保田 まず、サウスダゴン警察署に連行され、初日はエアコンも効いた署長室に泊まれたのです。外国人のせいか腫物を触るような扱いでした。
 しかし、取り調べが続くうちに「KhitThit Media」というミャンマーの民主派メディアに転載されていた僕のドキュメンタリーが見つかってしまいました。ロヒンギャに関係する内容だと分かると、その後すぐに留置所へ移動させられました。

“Khit Thit Media”に転載されていたドキュメンタリー『Empathy Trip』(2019)ビルマ族の活動家がロヒンギャのために立ち上がったストーリーを描いている。

永杉 警察署の留置所はどのような場所でしたか。

久保田 移送されるときに、警察官か
ら「お前がこれから行くのは地獄のような場所だ」と言われました。実際に着いてみると、2.5×5メートルくらいの空間だと思うのですが、そこに20人以上が押し込められているんです。あとは汚いトイレがあるだけ。日の光もほとんど入らないし、お互いに身体を折り重ねないと眠れない。本当に地獄のような場所でした。大使館に連絡を取らせてほしい、それまでは食事を取らないとハンガーストライキもしました。

永杉 ハンストはどのくらいの期間続けたのでしょうか。

久保田 6日間です。その後、8月4日にインセイン刑務所へ連れていかれました。はじめは少し安心したのです。独房で自分のスペースがあるし、日の光も入ってくる。食事は、朝はお粥、昼は豆スープと米。夜はおかず一品と米ですが、これが日替わりなのです。水菜のスープ、ガーヒン(魚のカレー)、ゆで卵が週に2日ずつ、チェッターヒン(鶏肉のカレー)が週1日でした。その他は、日本の方々や大使館からの差し入れがありました。カップ麺や日本風の弁当、日本のお菓子とか。食事のほかにはミャンマー語の参考書も差し入れていただいて、本当にありがたかったですね。

収監されている映像作家、テインダン氏からの伝言

永杉 インセイン刑務所の内部はどのような様子でしたか。

久保田 僕がいた独房エリアには自分を含めて11人が収容されていました。ミャンマー人が2人で他には外国人で、ドラッグなどで逮捕された人たちが多かったですね。中には20年以上も収容されている人がいました。政治犯はおらず、関係者と接触できないようにするための措置だったと思います。
 この独房が集まったブロックが6つあって、その後は「4」に移されました。「1」が有名人、VIPが入る場所といわれていました。

永杉 とても孤独な独房での日々、どのように精神状態を保っていたのですか。

久保田 隠れてペンを持ち込んでいたのです。紙はいろいろなところから手に入れて、毎日なにが起きていたのかを綴るようにしていました。

▲目を盗み、出来事を必死に書き留めた(画像は一部加工)

永杉 インセイン刑務所には日本育ちで日本の永住権も持っている映像作家テインダンさんも、不当に逮捕され収容されています。私もクーデター前にはヤンゴンで何回か会ったのですが、刑務所で彼と会う機会はありましたか?

久保田 はい。ダンさんは僕が大使館に電話をするとき、その内容を記録するための通訳でした。実は彼の存在が、僕の心の支えでした。1年以上も拘束されているのに僕のことを心配してくれて、気遣ってくれて。ただ、笑顔を見せてくれていましたが、精神的に不安定になることもあったようです。ダンさんからは「日本にいる家族に、私は元気だと伝えてほしい」と言付けを預かりました。

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