【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

東京新聞記者 北川成史 氏(P.3)

連邦制民主主義国家の実現は世界に示すロールモデルとなる

永杉 今後、ジャーナリストとしてどのようにミャンマーと向き合うべきとお考えでしょうか。

北川 残念ながらミャンマー国内のジャーナリズムは国軍の締め付けで危機的な状況です。大っぴらに活動できるのはプロパガンダメディアばかりというような異常事態になりました。国内で自由に声を発せない人々に代わって、国外から厳しい目で報道し続けることはジャーナリストの責務であると考えています。
 また、膠着する状況下で世間の関心が薄れていくことは、当事者を精神的に孤立させるばかりでなく、人道支援が適切に行われないなどの懸念も生じます。ですから、世間の目が少しでもミャンマーに向き続けるよう、今後もあらゆる問題を報じ続けたいと考えています。

永杉 将来、ミャンマーはどのような国になって欲しいとお考えですか。

北川 ミャンマーは異なる民族が入り混じって暮らす、多様性に満ち溢れた国です。クーデターが終結した後は、民族それぞれが平等に暮らせる民主主義国家の姿を見せてほしいと期待しています。

永杉 日本にいるNUGメンバーも、ミャンマーのあるべき未来として、多民族が融和した連邦制民主主義国家を目指すべきという意見を持つ方がいます。

北川 決して簡単にできる話ではないと思います。例えば、ロヒンギャ問題だけを見ても難しさを感じます。この問題は一般的に「国軍の暴力によって排除されるロヒンギャ」という構造に見えるはずです。もちろん多数のロヒンギャが国軍から苛烈な弾圧を受けていることは事実ですが、一方で、ロヒンギャの武装勢力「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」が、他のコミュニティーを攻撃するという加害者としての側面も見受けられます。例えば、「アムネスティ・インターナショナル」は2018年、ARSAがラカイン州マウンドー郡の村を襲撃し、ヒンドゥー教徒ら53人を殺害したとする報告書を発表しています。
 つまり、国軍VSロヒンギャという単純な構図では片付けられない、多民族国家の複雑さや難しさが、ミャンマーには存在するのです。
 しかし、これだけ多様な民族が暮らすミャンマーにおいて、真の連邦制民主主義国家が実現すれば、他民族排除や強権的な政治体制が横行しつつある世界に対抗する、ひとつのロールモデルになりうると考えています。

永杉 日本はミャンマーにどのように向き合っていくべきでしょうか。

北川 日本政府はクーデターを認めない姿勢をはっきり示し、もっと積極的にミャンマーの人々を助ける動きをするべきです。
 今年の1月と8月、タイのメーソートを取材しました。ミャンマーと国境を接するこのエリアには、国軍から逃れてきたミャンマー人避難民がいるのですが、今年の4月くらいから国軍の攻撃が激化しており、避難民は増え続けています。キャンプでは食料や医療が不足しており、子どもは満足な教育も受けられません。また、大半の避難民がタイでは不法滞在の状態なので、送還に怯えて暮らしていました。
 彼らの一部は難民として第三国に逃れているのですが、受け入れているのは主にアメリカやオーストラリアなどです。日本に再定住し、働く希望を持っている避難民たちにも出会いましたが、日本政府は彼らにコミットできていません。ウクライナの場合は、隣国に逃げたウクライナ人を日本に避難させたのに、なぜミャンマーでそれをしようとしないのか。外交方針として「自由で開かれたインド太平洋」を掲げ、民主主義や人権を大切にするというのならば、日本政府にはもっとできることがあると思います。

永杉 日本で働くことを希望するミャンマー人にコミットしきれていないという話は、私も同感です。国際交流基金が発表した資料によると、今年7月にミャンマーで実施された日本語能力試験の応募者数が、初めて10万人を超えたそうです。国内の混乱を受けて、ミャンマー人が日本での就労に強い関心を持つようになったことは明白です。
 こうした動きを受けて当社は10月に、ミャンマー人材を日本に紹介する事業を開始しました。慢性的な人手不足に苦しむ日本企業と、勤勉で親日家の多いミャンマー人を結びつけることは、国益にかなうことだと考えています。
 北川さんには、今後もミャンマーに関する積極的な報道や提言を期待します。本日はお忙しい中ありがとうございました。

▲タイ・ミャンマーの国境地帯にて(2023年8月)
▲タイ・メーソートでメータオ・クリニック院長シンシア・マウン氏と(2023年8月)

永杉 豊 [Nagasugi Yutaka]

MJIホールディングス代表取締役
NPO法人ミャンマー国際支援機構代表理事

学生時代に起業、その後ロサンゼルス、上海、ヤンゴンに移住し現地法人を設立。2013年6月より日本及びミャンマーで情報誌「MYANMAR JAPON」を発行、ミャンマーニュースサイト「MYANMAR JAPONオンライン」とともに両メディアの統括編集長を務める。ヤンゴンでは人材紹介事業を立ち上げ数多くのミャンマー人材を日系企業に紹介する。UMFCCI(ミャンマー商工会議所連盟)、ヤンゴンロータリークラブに所属。著書に『ミャンマー危機 選択を迫られる日本』(扶桑社)。

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