【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

カレン民族同盟(KNU)第5旅団報道官 パドー・マンマン 氏(P.2)

医療ボランティアとして前線にも立つ

永杉 マンマンさんはミャンマー西部エーヤワディ地方域のご出身だそうですが、これまでの経歴を教えてください。また、当初はおもにどのような活動をされていたのですか。

マンマン 父がカレン族の自由を求めてKNUに入ろうとしていたのですが、私が16歳のときに亡くなってしまったのです。ただ、その影響もあり高校を卒業してからKNUに志願しました。当初はメディック(衛生兵)です。KNUの軍事部門であるカレン民族解放軍(KNLA)で、医療技術の教育を受けました。その後は国軍との戦闘にもたびたび従軍し、負傷者の治療などに専念してきました。

永杉 その後はカレン族だけでなく、ミャンマーの少数民族全体のための活動を始められたそうですね。国軍との紛争地域や、経済的に立ち遅れた農村部などで保健医療にあたり、国軍の弾圧から逃げてきた国内避難民への医療支援でもご活躍されてきました。また、疾病の治療や母子保健、コロナ対策までこなしているとも伺いました。

マンマン はい。1998年に設立された「バックパッカー・ヘルスワーカーチーム(BPHWT)」に参加しました。これはカイン州だけでなく、カレンニー州やモン州の医療従事者が設立した組織で、民族を超えて医療を提供することが目的です。実は、BPHWTの母体はメータオクリニックなのです。

永杉 タイ国境のメーソートで、ミャンマー難民を無料で診療している国際NGOですね。私もこのTOP対談の第103回で、院長のシンシア・マウン先生にインタビューをしています。

マンマン そのメータオクリニックは、関連組織であるBPHWTのスタッフに医療などの研修を行い、少数民族地域に派遣しています。

永杉 チームの責任者としても活躍されたマンマンさんですが、その後KNUでも中心人物になっていきます。

マンマン 2012年にKNU内で総選挙が行われたのですが、それを機に指導部へ入りました。KNUは7つの旅団から構成されているのですが、2021年から第5旅団の報道官を務めています。

▲ハンモックしかないが、紛争地帯から逃げてきた人々にとっては安心して眠れる
▲KNUのシェルター(難民医療施設)には紛争で手足を失った若者たちが収容されている

ミャンマーの国内避難民は170万人以上に