飲食、スーパーマーケット、医療など生活情報をブラッシュアップ シン・ヤンゴンライフ

Column03

“ 元祖インフルエンサー” ローカルさんが日本に帰国

ミャンマーブロガーとしておなじみのローカルさんが日本への帰国を決断。
その背景には一体何があったのか。

 ミャンマーのNo.1ブロガー(兼ユーチューバー)といえば、“ローカルさん”こと竹永ケイシロさん。2010年からヤンゴンに移り、ミャンマーの地方から都市部まで、あらゆるローカル情報を発信してきた元祖ミャンマーインフルエンサー。
 その内容は主にエンタメや生活情報が多かったため、コロナ禍や今回の政変によって発信は激減、苦しい時期を過ごしていた。また、ときに観光事業も行っていたが、それも壊滅的となり、約2年耐えていたものの帰国という決断に至った。決定的となったのが、再びその存在感を高めている新型コロナウイルス。ローカルさんは「これは長引くと思って、先が見えないので決めました。特に観光におけるハイシーズンが2年も潰れてしまったので、悶々としたまま過ごす時間がもったいなかったんです」と説明する。かつてのミャンマーを振り返り、「民政移管し、新しいお店が開くだけで日本人は大興奮でした。こうした発展を目の当たりにできたことは、うれしかったことの一つです」と述懐する。
 数ある思い出のなかで最も衝撃的だったのがタケタ地区にあるワニ園。今ですら安全面に配慮されているものの、かつてはボロボロの板が橋として利用され、雨季になると腐りはじめるため、大量のワニがうごめく上を渡るときはとてつもないスリル感があった。「下手したら落ちますからね。ただ、そんな危うさにハマってしまい、“雨季のワニ園は本当にワニワニパニックになっているのか!?”という企画を5年連続でやりました。そうしたユルさもミャンマーらしさですよね。一度、風呂場で感電して死にかけたこともありましたよ。シャワーを浴びようと思ってシャワーヘッドを握ったら、突然身体中を強烈な電気が襲ってきて卒倒したわけですけど」。
 今後のことはまだ決めていないが、いったん地元の熊本に帰り、ゆっくり過ごしたというローカルさん。11年間、ミャンマーの地に根づいた情報を発信し続け、在留邦人をサポートしてきたメディアの先駆者だった。またいつの日かミャンマーに戻ってきて、日本とミャンマーの架け橋になってくれることを期待したい。

「イグゼ!」のキメゼリフが定番だったローカルさん
危うさに惹かれ、5年連続で企画したワニ園での撮影




Column04

マンダレー銃撃戦の当日に聞いた駐在員のリアルな声

第二の都市で勃発した国軍兵士と人民防衛隊による銃撃戦。
現在のマンダレーはどのような状況なのか。

 マンダレーに駐在するBさんに取材したのは、国軍兵士と人民防衛隊(PDF)との銃撃戦があった22日正午過ぎ。
 第一報は従業員から入ってきた。午前7時過ぎにマンダレー市内の2つの通りで国軍兵士とPDFが銃撃戦を開始し、すでに死者も出ている。ただ、PDFは鎮圧された形で、逮捕者もいたとのことだった。さらにほかの数か所で爆発事件があり、メイティーラーから戦闘機が出発したという情報が入るなど、本格的な衝突の可能性も考慮に入れていた。
 まずBさんは従業員を自宅に帰すべきかのジャッジを迫られていたが、下手に動けばさらなる危険に晒す可能性もあるため、取材時も悩んでいると心情を吐露。現在、マンダレーには日本人駐在員が少ないため、なかなか情報共有もできず、心細さは否めなかった。また、Bさん自身の安全も確保しなければならなかったが、爆発が起きた場所から比較的近くに住んでいたため、この日はしばらく静観すると決めていた。
 6月以降のマンダレーは特段治安に問題はなく暮らせていた。ただ、ヤンゴン同様、ATM問題は続いており、今月はBさんの会社でも現金で給料を支払うことができているが、来月はどうなるかわからないという。また、数は少ないものの日系レストランも通常営業となり、飲食の面での不安はなくなっていた。
 今回の銃撃戦についてまだ本社の判断を仰いではいないが、落ち着いていた日々が続いていただけに多少の不安は否めない。Bさんは「一応明日も出社予定です。日々の様子をこまめにチェックし、冷静な判断を下したいと思います」と語った。

現在は街中の撮影も難しい状況のマンダレー
観光地として人気だが、治安悪化が危惧される