帰国か、残るか ミャンマー在住者に課される選択(P.3)

現状の業務はどうなっている?
私が帰国した理由...
ヤンゴンから離れ、いったん帰国。業務は問題なくできているのか? 2人のビジネスマンに話を聞いた。

 会計業務に関わるAさんが日本帰国した判断の背景には、コロナ禍も日本に帰らずミャンマーにいたこと、クーデターでミャンマー経済がしばらく滞ると思ったためだった。家族には長く会っておらず、帰るタイミングを見定めており、また日本での最新の知見獲得を含め俯瞰した目線で業務戦略を見つめ直すいい機会だと捉えて、帰国を決断した。

 飛行機は沖縄経由のANA便を利用。インターネット環境が安定しない状況下でのチェックイン業務、ミャンマーで給油ができないための沖縄経由など思いのほか、スムーズに進まない状況ながら「ANAさんの気遣いと非常に丁寧な対応が助かりました」とAさんは感謝を示す。日本には午後10時に成田に到着し、簡易PCR検査などもあり、成田のホテルで就寝したのは朝5時半。3日間のホテル隔離後、自分で手配したレンタカーで横浜の自宅まで帰った。

▲ヤンゴン空港でのチェックイン待ち。AさんはANAの誠実な対応に心を打たれたという

 コロナ禍を経ていたこともあり、現状は順調にリモートワークで業務をこなしている。オンライン会議ソフトを常時接続しながら、スタッフと雑談を交えてコミュニケーションを図り、今のところ大きな問題は起きていない。それどころかコロナ発生以降にスタッフは増え、当然給料の減額もなく、欧米や中国系企業などの問い合わせが増えている。「お客さんを残して現場を離れるのは誠に申し訳ないのですが、業務拡大のための戦略としてもこのタイミングを利用しています。落ち着くのはクーデターより6か月と見ているので、7月頃に戻る予定をしています」

▲成田空港での唾液によるPCR 検査後、受け取った陰性証明書。待機時間は平均2時間

 建設関係のBさんが帰国を決めたのは、担当していた大型プロジェクトがストップしてしまったためだった。コロナ発生後、7月までは案件は少なかったものの、以降は徐々に動き出し、新規案件も受注。さらなる業績拡大に向けて準備していた新年だったが、2月のクーデターですべてが変わった。前述した大型プロジェクトが停止、ほかの案件も取りやめになるなど業務ができる状況ではなくなってしまった。現状スタッフを雇用できる体力はなく、一方日本で増えつつあった業務にも寄与できるとあって帰国を決めた。

▲チャンギ空港側が手配したカートに乗って移動。もちろん買い物などもできなかった

 帰国便はシンガポール経由のSQ便。トランジットのチャンギ国際空港に着くと関空行きのフライトまで23時間待ちだったため、トランジットエリア内にある簡易ホテルに宿泊。空港での移動はカートに乗せられ、他人と関わることはなく、チェックインした。チェックアウト後は、大きな問題もなく、関空に到着。空港ではヤンゴン発の人間は別室に案内され、簡易PCRを受けた後、指定のホテルまで移動。そこで3日の隔離後、大阪のホテルで2週間の自主隔離をし、今は実家に戻っている。

▲関空までは23時間待ちだったため、トランジットエリアのホテルに宿泊。ネットで予約が可能

 Bさんが帰国したことで日本の仕事が増え、一部業務をミャンマー側に発注している。ミャンマー人スタッフの雇用を維持させたいというのがBさんの願いでもあり、現在はミャンマーと日本の架け橋として忙しく従事しているという。「まだ帰国の見込みはないですが、あくまでも一時帰国です。大型プロジェクトの進捗次第で戻るジャッジをします」