親日ミャンマー人が現地で経験した2度目のクーデター

(25)「国軍記念日」は国軍からの独立記念日

 3月27日は、1942年から45年まで日本の占領軍によって植民地化したビルマが独立を訴え、一斉蜂起した日。この日は毎年、国軍がパレードを行うこととなっている。

 さらに歴史を戻すと、ミャンマーは1824年から1948年の100年以上、英国の植民地支配が続き、その脱却を掲げてアウン・サン氏が中国に渡り、偶然その地で日本の諜報機関と知り合い、日本軍の援助を受けることとなった。
 日本軍はアウン・サン氏を支援し、いわゆる“30人の同志”に軍事訓練を施した。そして第二次世界大戦中、英国からミャンマーを奪い返すため、日本と協力。日本もビルマ経略を画策したため、“30人の同志”であるビルマ独立義勇軍と結託、一方でアウン・サン氏も日本の意図を腹の底では理解していたが、英国からの独立を優先して共に戦った。

 その後、英国の植民地支配からは解放されたが、予想通り日本の支配下となってしまった。いわば仮の独立であり、日本のファシズムが蔓延ることとなった。当時の日本軍の圧政は目に余るもので、ミャンマー市民はひどく苦しむ。そして、前述したように3月27日、アウンサン将軍が決起したという経緯がある。その後は英国の支援と交渉の末、1948年についに独立を勝ち取った。

 ミャンマーの軍隊は日本軍によって作り上げられ、英国のマネジメントシステムで組織化された。ミャンマー建国の背景には、日本と英国という大国2国による光と影があり、苦しみも感謝も否定することはできない。
 独立後、ミャンマーはひたすら低迷した。為政者のいい加減な判断によって政治は安定せず、少数民族武装勢力も平和的に暮らすことはできなかった。国軍は彼らを厄介者扱いし、自分たちを勇気あふれるヒーローに仕立てあげた。

 国軍は末端兵士に至るまで洗脳され、国軍が政治に関わらなければ国が崩壊し、内戦になると本気で信じている。日本人の方も軍関係者と話したことがあればわかると思うが、彼らは軍があるからミャンマーが安定し、民政移管すれば政治が不安定化する、国軍がこの国を一番愛している、アウン・サン・スー・チー氏が国を崩壊させる、などと平気で語る。
 私自身は軍関係者と会うつもりはなく、いくら日系企業に仕事を依頼されても断るようにしている。彼らはとてもまともな組織には見えず、可能な限り早く排除しなければ手遅れになってしまうだろう。

 本来、軍隊とは国を守る組織であり、権威でも政治家でもない。1962年のネ・ウィン軍政からこの国の政治は歪んでしまい、そこからまだ脱却できていない。国軍の気まぐれでクーデターが起こるなど、今回が最後であると信じている。

 国民全体が本当の民主主義を取り戻すため、国軍から独立するため、3月27日に我々は宣戦布告し、民主主義の記念日にするつもりだ。これから内戦が始まる。在緬日本人の方も気をつけてください。

(続く)

Bandee
1965年、ヤンゴン市生まれ。88年、ヤンゴン大学在学中に8888民主化運動に参加。91年に日本に留学し、語学を学ぶ。2004年にミャンマーに帰国後、ボランティアの日本語講師となる。現在は主に人材派遣の育成プログラムを作成し、教育事業を行っている