親日ミャンマー人が現地で経験した2度目のクーデター

(24)真の連合軍が誕生する

 ミャンマーは、はるか昔から多種多様な民族で成り立っている国。王朝時代から互いに依存し、生活してきた。長い歴史の間には、戦争も繰り返されてきた。部族同士の権力争いが起きても、上座部仏教のおかげで国民全体が穏やかで、差別意識のない平等な社会が形成されていた。植民地支配されるまでは。

 英国の分離支配政策により、民族同士の差別意識が芽生えてしまった。

 植民地支配により国は統治できず、民族の中で最も多いビルマ族を中心に据え、山間部と地方の少数民族に対して宗教的、文化的、社会的に差別感を植え付け、管理体制を作りながら100年以上支配されることとなった。最初は上ビルマと下ビルマの分け方で占領し、1885年(日本は明治維新の頃)に完全に植民地化。それ以来、少数民族のコンプレックスがビルマ族に対する不信感となっていった。

 そして、それは独立後も解消しなかった。植民地化されていた長い間に刷り込まれた教育や宗教、文化の違い(感覚)は簡単には埋まらない。平地のビルマ人には感じられないのだろうが、山間部や地方の民族から見ると差別されてきたという「屈辱感」がある。市民同士の交流にはそこまで障害がないとしても、政治的あるいは権力的な話になると、どうしても「民族」という意識が出てきてしまう。

 1948年にビルマは連邦共和国として独立したものの、根本的な解消には至らなかった。当時の政治は、影響力の強い民族だけが参加し、国旗は大きな星5つの周りに小さな星が配置されたもの。小さい星は、一つの民族を表している。政治的にも軍隊にも大きな問題はなかったように見えたが、実際はとても不安定だった。

独立後、1948~1974年までの国旗。

 アウン・サン将軍が独立前にピンロン条約で掲げた「連邦連合国家」の構想は実現できなかった。政治的な統治が整えられなかった時期だったので、結果的に国が軍政に抑えられたのだ。そして、多種民族の要求が国の分裂、あるいは崩壊しかねない状態にまで発展し、不安に苛まれた国民は武器を持つようになった。国は社会主義という独裁的な統治制度で管理し、135種類にも上る民族があるにも関わらず、国土を7管区と7州に再編した。

 当時の軍政は国を統治するためにさまざまな対策を施したが、軍の利益優先が目的になってしまい、悪循環のスパイラルに陥ってしまう。国軍は、国よりも自分たちの利益のために体制を作り、民族を悪者扱いし徹底的に抑えた。民族は、それに抵抗するように武装グループを作った。

 その後、根本的な解決策が見出だせないまま、国は民主化。スー・チー政権になり、「連邦連合国家」という言葉が再び使われることなった。1962年の軍事クーデターの時から「連邦連合国家」はご法度だった。軍政の教育を受けた我々は「連邦連合国家」は国を崩壊させると洗脳され、しかも民族武装グループは悪魔扱いにされたのだった。

 軍政の民族に対する弾圧が卑劣かつ非人道的な行為により、各民族は武器を手にし自分たちを守るための防衛隊を組織した。今回のクーデターにおける国民に対する国軍の行為で、70年間にわたり少数民族に対してどれだけ悲惨な虐待と殺害が行われたかが想像できる。我々も過去を反省し、長年にわたる"わだかまり"も溶けたように思う。

 これから一気に国民が目覚め、各民族との理解が深まり、真の連邦連合国家を立ち上げることになる。連合軍も編成され、国軍と対峙する。内戦は免れないだろうが、新しい国がまもなく誕生するはずだ。

(続く)

Bandee
1965年、ヤンゴン市生まれ。88年、ヤンゴン大学在学中に8888民主化運動に参加。91年に日本に留学し、語学を学ぶ。2004年にミャンマーに帰国後、ボランティアの日本語講師となる。現在は主に人材派遣の育成プログラムを作成し、教育事業を行っている