親日ミャンマー人が現地で経験した2度目のクーデター

(23)忍び寄る中国の足音…

 3月14日。デモ隊による銃撃による1日の死者数は、クーデター発生以降で最大になり、大変憤りを感じた。同じ国民同士にもかかわらず、無抵抗の市民が実弾で撃ち殺されても、誰もがそれを阻止することが出来ない…。辛い一日だった。

 銃声が家からも聞える距離で、都会なのに、まるで戦場に居るかのよう。黒い煙が夕方の空に漂っていた。

 CRPHはこの日、弾圧を受けている国民には正当防衛・抵抗権があり、自己防衛の為の抵抗は犯罪にはならないと発表した。CRPHは国家統治評議会をテロ組織と認定しており、警察や国軍兵士はテロ組織の一員だと説明した。市民は、日々無防備なまま殺害されている人々の様子を見て、感情的になっている。国軍側は、デモ隊を「反乱者」扱いし鎮圧する。出口が見えなくなった国軍は、最後の手段として無差別的なテロ行為をするだろう。

 権力に溺れた独裁者は感覚が麻痺し、自分以外のものは全て奴隷に見えてしまうのだろう。そして、自分が上に立たないと世の中が良くならないと思い込んでいる。さらに厄介なのは、武器と彼に従う軍団が存在すること。そして、そこに手を差し伸べる中国とロシアの存在にも気をつけなければならない。

 中国は、1988年から急接近した。国際的に制裁された当時の軍事政権は中国寄りだった。歴史上、中国とは良い関係があるが政治的な干渉もあった。地理的に隣接していたが、国民同士の交流は牽制ぎみだったかもしれない。ミャンマーは5か国と接しているが、いずれも好意的に交流しつつ、警戒心も忘れない独特な心境で接しているように思う。そして、ミャンマーは多民族だが、文化、社会、教育、政治構成は隣国の影響をあまり受けていない。

 中国による干渉は、経済的援助の影響が大きかった。軍事政権は自分らの立場を後ろ盾に、サポートに対する感謝的な協力関係、大げさに言い換えれば「中国の植民地化」されたとも言えるかもしれない。

 国民が中国と軍事政権の関係が深くなったことを知った時には、もはやどうにもならなかった。しかし、それを牽制するためスー・チー政権は中国からの借金を返済し、責任のある投資と言うスローガンを立てて資源開発を抑えた。代わりに、製造業などの日本投資を奨励し、中国の影響力から逃れようとしているところだった。

 しかし、国軍側は日本企業よりも大金の賄賂が流れる中国国営企業との繋がりが強い。中国政権もミャンマーによる資源開発が手放さない。もし、スー・チー政権が軌道に乗ってしまうと、民主主義が肯定されて政治も欧米諸国頼り、経済も日本傾注という状況になるといった危惧もあったのだろう。

 中国にとっては、あらゆる角度からミャンマーを支配するためにも軍事政権が必要だった。国境周辺の武装組織に武器を支援し、国軍とも協力関係を築きミャンマー国内の政情を不安定化しながらも中国影響力を高めている。中国は「アメとムチ」で操っている。いや、「アメとアメ」かもしれない。軍事政権は中国の罠に嵌められる。カエルが水が入った鍋に火つけられても楽しんでいるに違いない。

 我々国民は、その火をさらに強くしていかなければならない。

(続く)

Bandee
1965年、ヤンゴン市生まれ。88年、ヤンゴン大学在学中に8888民主化運動に参加。91年に日本に留学し、語学を学ぶ。2004年にミャンマーに帰国後、ボランティアの日本語講師となる。現在は主に人材派遣の育成プログラムを作成し、教育事業を行っている