前駐ミャンマー大使・丸山市郎氏 書き下ろし
ミャンマーと日本─私の外交官人生
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著者プロフィール
丸山市郎[Maruyama Ichiro]
昭和28年生まれ、宮城県出身。
1978年に外務省入省後、81年 在ミャンマー日本国大使館、85年 日米安全保障条約課、南東アジア第一課、92年 在ミャンマー日本国大使館、97年 在米国日本国大使館、2002年 在ミャンマー大使館、06年 外務省総合外交政策局外交政策調整官を経て、11年7月より在ミャンマー日本大使館の公使参事官を務めた。18年3月、駐ミャンマー日本国特命全権大使に就任。24年9月に退任した。
第1回:「私とミャンマー」関わりの始まり
―はじめに
日本で旧知の MYANMAR JAPON 代表・永杉さんと久しぶりにお話しする機会がありました。
私は、ネ・ウイン政権時代にビルマ語研修のために留学し、その後の民主化運動や軍事政権、そしてテイン・セイン大統領の政治経済改革の大きな流れ、アウン・サン・スー・チー政権の誕生、そして現在の軍事政権というビルマ~ミャンマーにおける政治の流れを目の当たりにしました。それぞれの勤務を通じて関わってきたことを話しているうちに、「今もミャンマーに関わり続けている会員向けに連載してほしい」とのご依頼があり、お引き受けすることにしました。
―ミャンマーへの第一歩
私は、2024年9月にミャンマーでの勤務を終え日本に帰国しました。ミャンマーには計5回、通算27年にわたり大使館で勤務をしましたが、それはミャンマーのネ・ウイン政権に始まり現在に至るまでの政治の流れとの対峙でもありました。
1978年に外務省に入省した私は、それと同時にビルマ語専門を言い渡されました。神田の古本屋街でやっとビルマ語の本を見つけたのですが、ページを開いた時にあの丸い文字を見た時は「これは無理だ」と絶望的な気持ちになったのでした。
翌79年にラングーン(ヤンゴン)の外国語大学(当時は外国語学院でした)での2年間の研修のため、ビルマの地を初めて踏んだのがこの国との関わりの第一歩でした。当時は1962年にクーデターで政権を取ったネ・ウインの時代であり、「ビルマ式社会主義」のもと事実上の鎖国状況でした。すべての経済活動や貿易は国有化され、外国製品はタイの国境から流れ込んでくる密輸品が時折市場に売りに出される程度。トイレットペーパーですらバンコクから購入しなければ入手出来ない状況でした。
―日本とミャンマーの特別な関係
一般的にミャンマーの人々は外国人にホスピタリティがあると言われますが、アジアや欧米の大使館関係者からは「ミャンマー人と日本人との関わりを見ていると特別なものを感じる」と良く言われました。確かにそうかもしれません。
日本とミャンマーは「歴史的に特別な関係」と言われます。その背景には、戦時中に日本がミャンマーの独立に深く関わったことはもちろん、戦後は外交関係回復のためアジア各国と平和条約、賠償協定の協議を開始し、1954年にミャンマーが真っ先にこれに応じ、インドネシア、フィリピンなどがこれに続く先鞭となったことが挙げられます。
さらには、日本が戦争でビルマ国民に大変な苦難を与えたにもかかわらず、戦後の日本の食糧難の時期に政府が「ビルマ米」を10年以上にわたって輸出してきたことが大きく影響しています。
