日本が立ち上がったように、ミャンマーも必ず前に進む

 ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)代表理事・医師の名知 仁子です。いつも温かい応援をお寄せいただき、本当にありがとうございます。

 2026年が始まり、気がつけばもう2か月が過ぎました。時間の流れの早さを、しみじみと感じています。

あれから15年…
 2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。日本中が衝撃と不安に包まれた忘れることのできない日です。あれから15年。日本は、あの大惨事から少しずつ、しかし確かに復興を遂げてきました。

 私は当時、石巻の体育館で被災されたおよそ100名の方々への医療支援に携わっていました。無理をお願いして海岸沿いへ連れて行っていただき、目の前に広がる瓦礫の山を見た瞬間、言葉にならない涙と嗚咽がこみ上げてきたことを今でもはっきり覚えています。「本当に、この町は元に戻れるのだろうか」「また人が暮らせる場所になるのだろうか」胸の奥に重くのしかかる不安と絶望感。毎年この日には、静かに黙とうを捧げています。

 日本は、第二次世界大戦の敗戦という「どん底」の経験もしています。そこから立ち上がり、やがて「Japan as Number One」とまで言われる経済大国へと歩んできました。なぜ、それが可能だったのでしょうか。

 極限の状況に置かれたとき、人は「なぜ自分だけが」「誰にも分かってもらえない」などと孤立と孤独の中に閉じこもってしまいがちです。世界から切り離されたように感じることもあるでしょう。

 それでも日本は、立ち上がりました。私はその理由を「人と人との繋がり」にあるのではないかと思っています。

私たちは一人ではない
 一人では到底できないことも、仲間がいれば乗り越えられる。「あなたの苦しみは、私の苦しみでもある」と寄り添い合うことで、孤立という壁が少しずつ溶け、再び世界との繋がりが取り戻されていく。繋がりは人の心を癒し、前に進む力を生み出します。私たち日本人は、まさにそのことを体験してきたのではないでしょうか。

 そして今、ここミャンマーでは、2020年の新型コロナ感染拡大、2021年2月1日のクーデターによる非常事態、さらに2025年のマグニチュード7.7の大地震とあまりにも多くの困難が重なっています。「なぜ、こんなにも…」と、神さまを恨みたくなる気持ちが湧いてくるのも無理はありません。

 昨日も空をジェット戦闘機が2機飛んでいきました。徴兵制の影響で、村から若者の姿が消えていきます。2015年から活動しているエーヤワディ地域でも、その変化は確実に広がっています。もなく政府の体制が変わるとも言われています。国民にやさしい政策が進むことを心から願っていますが、復興への道のりはまだ遠く感じられます。

 それでも、私は信じています。あの復興を成し遂げた日本が、必ずミャンマーの力になることを。「私たちは一人ではない」という繋がりを、日本とミャンマーの間に架け続けられることを。

 私たちMFCGだけでなく、日本には今もミャンマーを想い支え続けている団体や個人の方々がいます。そして、いつの日か、ミャンマーが自らの力で国を創り、自立(自律)していく日が必ず来ると、信じています。

©MFCG コミュニティーガーデンの収穫(2026年2月)

(2026年3月号掲載)

名知 仁子
[NACHI SATOKO]

1963年生まれ。1988年獨協医科大学を卒業後、日本医科大学付属病院第一内科医局入局。2002年、国境なき医師団に入団し、同年タイ・メーソートの難民キャンプ、2004年からはミャンマー・ラカイン州で医療支援に携わる。また、2003年には外務省のODA 団体、ジャパン・プラットフォームの要請で、イラク戦争で難民となったクルド人の医療支援に参加。2008年には、サイクロンで被災したミャンマーのデルタ地域で緊急医療援助に参加する。同年、任意団体ミャンマークリニック菜園開設基金を設立し、2012年6月にNPO法人ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(現MFCG)設立、現職。

ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会:https://mfcg.or.jp/