鐵眼(てつげん)禅師の生き様に救われる


この池の水を飲んでいます

 MFCGが昨年10月に開催した地域健康推進員(CHP)の第2期育成講座で、第1期の卒業生から聞かされたこの言葉に心底驚きました。2022年12月からこの汚れた池の水を飲まざるを得ない状況にあるというのです。この村には私たちが設置した井戸があるはず。なのに、なぜ…。

 私たちが巡回している村のほとんどは学校が無く、電気も通じない無医村です。安全な飲み水も無く、唯一の水源は藻が生えた池や小川で、乾季から暑季にかけては飲み水の確保は困難を極めます。ここトーイ村でも汚い池の水を煮沸もせずに飲むことが普通で、腹を下し脱水症状に陥り亡くなる住民も少なくありませんでした。

 そこで、私たちは2019年にNPOオアシスの竹口省三代表とともに井戸を掘り、モーターを設置しました。18時から21時までの間に通電させ、安全な水を供給できる環境を整えたのです。

 151世帯が暮らすこの村で、MFCGは2016年から歯磨きや手洗いの啓蒙活動、地域健康推進員の育成、有機野菜のコミュニティガーデンなど住民の健康増進と村の発展に向けた活動を行ってきました。最低でも月に1度は訪問し、村の人々と問題を共有し解決策を模索してきたのです。それにも関わらず、井戸掘りの際に組織された11名のコミッティーメンバーからは何の報告も受けていなかったのです。

 急きょメンバーを集め事情を聞いたところ、2022年12月にポンプに砂が詰まり水の供給が減少したとのこと。井戸を掘った職人に連絡を取り対処法を尋ね、100万チャット(およそ71,500円)近くを費やしたものの修復は不可能でした。その後、職人に来てもらうことも叶わず、井戸は廃止されてしまったのです。何よりも、毎月訪れていたにも関わらず、何も伝えられていなかったことに強い衝撃を受けました。

 「3千万チャット(およそ214万円)も投じて設置したのに!」これが正直な気持ちでした。でも、気温が42℃にも達する熱波が襲う夏季にはどうなるのでしょう?住民たちの身を案じました。

心を奮い立たせた日本の偉人

 江戸時代初期に『一切経』の板刻という偉業を達成した禅僧、鐵眼道光(てつげんどうこう、1630年~1682年)を思い出しました。彼は資金集めに奔走し、いよいよ出版に着手しようとしたその時、大坂を大洪水が襲ったのです。この状況に鐵眼は、板刻のための資金を全て救済に充てることを決意します。資金集めは一からやり直しでした。数年後、今度は近畿地方に大きな飢餓が起こりました。その困窮は前回の比ではなく、鐵眼は出資者を説得し、出版の事業を中止して人々を救うために全財産を投げ打ったのです。それでも諦めることなく3度目の資金集めに成功し、『一切経』の刊行を18年目にして達成。鐵眼はその翌年、静かに生涯を終えました。

 私は「人々の命と生活を守る」というMFCGの原点を思い出しました。井戸の再建に向けて住民と共にできることを考え、自分の心を立て直すことができたのです。

 2024年2月5日、井戸水の利用を希望した45世帯の住民と話し合い、毎日200チャット(およそ14円)を集め、修理代60万チャット(およそ43,000円)を積み立てることを決めました。一つの大きな目標に向かい住民と合意できたことは、大きな進歩です。

(2024年3月号掲載)

名知 仁子
[NACHI SATOKO]

1963年生まれ。1988年獨協医科大学を卒業後、日本医科大学付属病院第一内科医局入局。2002年、国境なき医師団に入団し、同年タイ・メーソートの難民キャンプ、2004年からはミャンマー・ラカイン州で医療支援に携わる。また、2003年には外務省のODA 団体、ジャパン・プラットフォームの要請で、イラク戦争で難民となったクルド人の医療支援に参加。2008年には、サイクロンで被災したミャンマーのデルタ地域で緊急医療援助に参加する。同年、任意団体ミャンマークリニック菜園開設基金を設立し、2012年6月にNPO法人ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(現MFCG)設立、現職。

ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会:https://mfcg.or.jp/