僻地無医村で住民の“命”を守るために

 1月1日に発生した能登半島地震では多くの尊い命が失われました。ご冥福をお祈りするとともに、ご親族やご友人を失われた方に心からの祈りを捧げます。

若者が消えていく

 以前にも書かせていただきましたが、今ミャンマーでは、生活費を稼ぐために若者たちが農村部から海外に流出しています。私は2004年からミャンマーの医療支援に携わり、2015年からエーヤワディ管区の僻地ミャウンミャに移り住んでいますが、このような現象は見たことがありません。

 ミャンマーの人口は、日本のおよそ半分の5,620万人(2023年、入国管理・人口統計省発表)と言われています。そのうち7割から8割が農村部や僻地で生活しているのですが、今その農村から若者がどんどん消えているのです。

 おもな渡航先は日本やシンガポール、マレーシア、ドバイなどです。日本では介護関係の施設や飲食店などで働き、シンガポールやドバイではホテルや飲食店などのサービス業に従事しているそうです。

 ある友人は「ここで働き養えるのであれば、本当は家族と離れたくない。でも、仕方がないんだ」と言い残し、シンガポールのホテルに勤務しています。どんな気持ちで家族と別れ働きに出るのだろうか。家族思いの彼らの考えに心を痛めています。悲しいことに、このようなケースは増加していると感じています。だからこそ、「私たちに何ができるのだろうか?」と今一度問いかけたいと思います。

ミャンマーの未来のために

 ミャンマーは鉱山や木材など豊かな資源を持っていますが、最も重要な財産は人材だと思います。国を為すのはその国の「民」です。しかし、それらが崩れ始めているのが今のミャンマーの現状です。このままでは、将来的にミャンマーが存在できなくなるのではないかと大変危惧しています。

 だからこそ、ミャンマー人のミャンマー人によるミャンマー人のための循環型コミュニティーを構築したいと考えています。現実は厳しいかもしれませんが、必ず1本の「白い道」があると信じています。

 「医・食・住」をふまえ、本当の意味で自活力をつけるためには、やはり農業は必須となります。それも、コンポストによる完全な無農薬農業です。さらに、栄養に関して学んでもらう機会を提供し、栽培する野菜も栄養を考えて選定します。保健衛生については、基本的なプライマリヘルスケア(健康を基本的な人権として認め、その達成過程において住民の主体的な参加や自己決定権を保障する理念)を徹底し、予防医学を中心に実施する必要があります。

 最終的に自立(自律)可能な状態にするためにやるべきこと、調整しなければならないことは多岐にわたります。

 この地域の特産品である竹やカシューナッツなどを販売できる体制が整えられれば、地域が活性化し、雇用にも繋がると考えています。ミャンマーの人たちが自分の国を創るために、できることを考え、サポートしていきます。ここエーヤワディで農業を教えてもいいですよ!という方がおられましたら、是非ご連絡ください。引き続きご支援のほど、よろしくお願いいたします。

▲1月19日、農業用水の鉄分除去タンク設置完了(2024©MFCG)

(2024年2月号掲載)

名知 仁子
[NACHI SATOKO]

1963年生まれ。1988年獨協医科大学を卒業後、日本医科大学付属病院第一内科医局入局。2002年、国境なき医師団に入団し、同年タイ・メーソートの難民キャンプ、2004年からはミャンマー・ラカイン州で医療支援に携わる。また、2003年には外務省のODA 団体、ジャパン・プラットフォームの要請で、イラク戦争で難民となったクルド人の医療支援に参加。2008年には、サイクロンで被災したミャンマーのデルタ地域で緊急医療援助に参加する。同年、任意団体ミャンマークリニック菜園開設基金を設立し、2012年6月にNPO法人ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(現MFCG)設立、現職。

ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会:https://mfcg.or.jp/